公文式教材の特長と指導者の役割

による公文式の説明
当日は、まずオリエンテーションで公文式についての基本的な説明を聞いていただきました。
一枚一枚の教材は少しずつステップアップするようにつくられており、自分に合った教材を解いていくことで、どんどん力をつけていく。間違ったところはやり直して100点にして次に進む。時間がかかったところのステップはすらすらできるまでくり返し復習し、次に進んでも困らないようにします。
例えば、障害のあるお子さんでは「たす1」を7,000題解いて次に進む子もいます。子どもが10人いれば10通り、100人いれば100通りの進め方、子ども一人ひとりの個性や能力に合わせた学習が公文式の大きな特長です。
公文の先生は、子どもの状態に合わせて教材を決めます。子どもたちの学習の様子や採点の内容、訂正したプリントの結果を見て、十分に力がついているかどうか確認し、次の教材に進めます。力がついていないと思ったら、復習や簡単なところまで戻すということも決めます。
基本的な公文式の説明を聞いていただいたあと、公文式教材の成り立ちから現在までを記念館内を説明しながら見学していただきました。
公文会長の足跡

公文会長は高知で育ちましたが、学生の頃、二度、「自学自習」の経験をしました。一度目は小学校5年生のとき。算術の授業では「教科書を使って、自分でどんどん自習しなさい」という先生だったそうです。二度目は私立土佐中学校のとき。最初に基本的なことを教わるだけで、あとは問題集を自分で解く、わからないところがあると先生にたずねるという数学の授業でした。
ここで公文会長は公文式の特長でもある「学年を越えて進む」という経験もしました。それが今の公文式につながっていきました。
原典教材の部屋
長男・毅(たけし)のために一枚一枚手づくりした原典教材の一部を展示しています。小学2年生から学習を開始した毅のために、二桁の割り算、小学校3年生の4月には約分、7月には正負の数、9月には一元一次方程式、翌2月には因数分解、小学校4年生の4月には方程式の応用…という予定を立てて教材はつくられました。実際にできた教材は800枚、小学校6年生の6月まで、微積分までつくられました。

公文教育研究会が始まってからは、幼児にも学習できる教材、大学課程まで学習できる教材と、どんどん発展していきました。
公文公記念館は一般の博物館でもありますが、日本の公文の先生・社員、海外60か国以上の公文の先生・社員も訪れます。公文の先生・社員が公文式を学ぶための役目も担っています。
公文式の歴史と「公文会長の社会貢献」

1958年が公文の始まり。公文会長は、当時は教師をしながら事業をしていました。印刷教材に使われた紙も、実際に使う学習者の事を考えながら変えていきました。例えば、蛍光灯が普及してない当時は、鉛筆がスラスラ進んで書きやすい上質紙を使っていましたが、蛍光灯が普及しだすと白い紙面が目に眩しすぎるので、ちょっとくすんだ色の紙に変更しました。
事業を始めて4年後、1962年9月に「当会今後の事業一覧」で10の目標を掲げました。学校をつくる、海外への普及なども掲げられ、実現してきましたが、1番目に掲げられたのが「孤児施設での数学教育の実施」でした。

公文会長は「孤児施設の子どもたちは、国の援助で衣食住は足りている。しかし、親がいないからという理由で進学できないなど、施設の子どもたちと一般の子どもたちとの学力差をなくしたい」と社会貢献を始めました。今では児童養護施設、児童発達支援・放課後等デイサービス、就労移行支援、少年院、高齢者対象の学習療法、そして海外でも遺児の支援施設と広がっています。
「社会貢献は“われわれの務め”である~社会貢献ができる団体になるということ」という公文会長の想いを知った高校生たちに感想を伺いました。
「社会貢献のところで、公文式で学力差をなくすために行動なさって“誰一人取り残さない”、全員が同じ勉強の内容を理解して進んでいくということが、重要なことだと思いました」
「少年院や高齢者など、その辺りにもしっかりアプローチしている、視点を向けているということが、幅広い視野をもっていると思いました」
「公文式で誰でも学力を身につけるチャンスがあり、身につけた学力を生かしていくことが今後の社会貢献の上で大事だと思いました」
高校生たちは公文式の説明や見学の間の説明にも熱心に耳を傾けていました。公文式の成り立ちから、創始者・公文公の社会貢献への想いも知っていただけた機会となりました。