誕生ストーリー 公文 公(くもん とおる)物語
学ぶ力は、やがて生きる力へ。
一組の親子の絆から生まれたKUMON一人の父親の、わが子への愛情から始まった公文式教育法。
半世紀以上が経った今も、その思想は脈々と受け継がれ、
多くの子ども達の「学ぶ力」を育み続けています。
きっかけは、一人の少年の算数の答案用紙でした。小学2年生の毅(たけし)少年のポケットから出てきた答案用紙を見た母親が、算数は得意なほうだと思っていたわが子にしては、あまりよくない点数がついていたのを心配し、当時高校の数学教師をしていた夫、公文 公に相談したのです。そこで父親である公文 公は、わが子のための学習教材をつくることにしました。その際に公文 公が留意したのは、「子どもが自主的に学習していく姿勢を育てることこそが教育者の務めである」と自らの考えを反映させることでした。
自主性を育むために、本人が自習で毎日無理なく続けることができ、かつ着実に学習効果を上げていけるように工夫を重ねました。高校で教鞭をとっていた彼は、計算力がないために多くの高校生が数学の勉強で苦しんでいることを知っていたので、計算力の養成に絞って、自学自習形式で学べる教材をつくりました。人から教わるのではなく、自分の力で解き進むことによってこそ本物の学力が身につくことを、自らの教育体験によって実感していたからです。
ルーズリーフに書かれた、手づくりの計算問題。それが今日の公文式教材の原型です。毅少年は、父親の考案した教材による毎日30分の自習でみるみる力をつけ、小学6年生の夏には微分・積分を学習できるまでにいたりました。また、請われるままに近所の子ども達を自宅に集め同じような方法で指導したところ、どの子の学力も目に見えて上がり始めたのです。「この方法で、一人でも多くの子ども達の可能性を伸ばしてあげたい」。1958年、公文 公は大阪に事務所を開設し、もっと多くの算数教室を開くことを決意しました。「自学自習で高校教材」を目標に掲げ、各自の能力に応じた内容を自習させることによって、一人ひとりの能力を伸ばす――公文式教育法の本格的な普及の始まりでした。
子ども達は本来、自分から伸びようとする力を秘めています。読み・書き・計算に取り組む過程で「やればできる」という自己肯定感を育み、「自ら学ぶ力」を育てていく。子ども達が将来自己実現を成しとげ、どんな時代でも夢や目標に向かってチャレンジしていける力、すなわち自分で自分の人生を切り開いていく「生きる力」を育てること。それがKUMONが考える教育です。父親のわが子への愛情から生まれたKUMONは、人から人へ、街から街へと広がり、今では言葉や文化・歴史の壁を越え、世界の国々に広がり続けています。
- 公文式 創始者 公文 公
(高校教師時代。昭和30年頃) - 長男・毅
(小学校2年生頃)
- 1954年公文 公が息子のために手づくりした原典教材(公文式教材の原型)
- 1959~1962年まで
活動拠点だった
大阪市の店舗の
一室を借りた事務局 - 公文 公と夫人が二人三脚で指導していた
豊中上野坂教室(1965年頃) - ブラジルで講演を行う公文 公(1994年8月)
公文 公(1914-1995)
高知県に生まれる。大阪帝国大学理学部数学科を卒業後、
母校土佐中学・高校、大阪市立桜宮高校などで33年間、数学教育に携わる。
1958年、大阪数学研究会創立(1983年、㈱公文教育研究会に社名変更)。
主な著書:『公文式算数の秘密』(廣済堂出版)、『やってみよう』(くもん出版)、
『悪いのは子どもではない』(くもん出版)など多数。
私たちが大切にする言葉
私たちが大切にしている創始者の言葉があります。