「前味」「中味」「後味」、
3つそろって「千房」の味ができあがる
私が社長を務める「千房」は、父が創業した会社で、来年で設立50周年を迎えます。お好み焼きと鉄板焼きがメインの「千房」のほか、居酒屋やおでん屋も展開し、オンラインなどで冷凍お好み焼きも販売しています。
私は事務所でさまざまな決裁をしたりオンライン会議をしたり、ときには直接千房の店舗に行ったり……という社長業のほか、大阪外食産業協会の会長や道頓堀商店会の副会長も務め、大阪の外食産業や地域を盛り上げようとイベントや渉外活動に関わっています。大阪外食産業協会が2025年の大阪・関西万博に出展予定なので、現在その準備を進めているところです。
大阪・道頓堀界隈には、江戸時代から芝居小屋があり、そこで芝居を観て屋台などで食事する、という独特の文化がありました。「食とエンターテインメントの街」であり、「おいしいものをより安く食べられる」というのが大阪の食といえます。
ですが、実は千房は「安い」とは一線を画しています。例えばバラ肉を使っている店が多い時代に我々はロース肉を、ゲソではなくてモンゴウイカ、また有頭海老をドーンと使うなど、他よりワンランク上の食材を使用して差別化しています。
何より大切にしているのが、「前味」「中味」「後味」の3つです。元気な「いらっしゃいませ」の笑顔が「前味」、お好み焼きそのものの味が「中味」、そして食べ終わってから後の印象が「後味」です。「中味」では最後の最後に「人間味」をどこまでかけられるかが決め手になります。そうして千房の味が完成します。
私は8年前に千房に入社し、4年前に社長になりました。それまで証券会社に勤務し、従業員組合の代表をするなどいろいろな経験をして、妻子を持ち、東京に家も購入していました。
そんなとき、父から実家に戻るよう連絡がありました。父の後を継いで社長になる予定だった長兄が病気のため社会復帰が難しく、代わりに社長をやってくれないか、というのです。
私は3人兄弟の末っ子で、父は自分の会社に入れるのは一人だけと決めていました。次兄と私には「自分の人生は自分で切り開け」と言っていました。なので、私もそのつもりでしたが、このとき「わかりました」と即答しました。
なぜ即答できたか。私は幼少期から父に、「誰のおかげでご飯食べて生きてられるか、わかっとるのか。俺じゃないぞ。千房の従業員が夜遅くまでお好み焼きを焼いてくれてるからや。感謝しなさい」といわれ続けていました。入社式、社員旅行、球技大会などすべての行事に参加し、千房とともに生まれ育ってきました。ですから従業員は家族同然です。後継者がいなくて“家族”が困っているなら、断る理由はない。自分が社長になることで恩返しをしたいと思いました。
負けず嫌いでチャレンジ好き
公文式教室で出会った“人生の恩師”
私は出生時、体重4,700グラムもあったそうです。小学生で身長170㎝近くあり、体が大きくスポーツは何でも得意。成績もよく、母からは「完璧かんちゃん」と言われてかわいがられました。中高時代はサッカー部で鍛えられ、将来は国際弁護士になろうと国立大学の法学部を受験しますが不合格。進学先の慶應大学経済学部では、厳しさで知られる体育会のアメフト部に所属。あえて厳しい環境に身を置くと、意欲が沸き立つのです。就職先も一番厳しい業界に行こうと証券会社へ。いざ働いてみると想像の100倍厳しかったですが、相当鍛えられました。
そもそも父もとても厳しかった。小さい頃から敬語で話し、逆らうことはできない。でも要所要所できちんとしつけてくれたと思います。例えば金銭感覚です。私が小3の頃、友人のお小遣いが自分より50円多かったので、父に値上げ交渉したところ、「50円は道に落ちているか。50円を稼ぐためにうちの従業員がどれだけ働けばいいかわかるか。簡単に稼げないぞ」と説教されました。小3にそんなことわかりっこなく、私はわんわん泣くばかりでしたが、大人になってから、お金の価値を小3の子どもにも本気で説く父の姿勢に改めてすごさを感じました。小遣いは結局、「大切に使うんだぞ」と値上げしてくれました。
兄たちが公文式の教室に通っていたため、私も幼稚園から算数と国語を始めました。夜中12時頃、プリントが終わらずに泣きながらやっていた覚えがあります。やらされているのではなく、終わらないことが悔しかったんです。母は「もう寝なさい」と心配していましたが、本当に負けず嫌いでしたね。どんどん進むのがおもしろく、小1の頃には5つ上の次兄の進度を越えていました。
小6の1年間は中学受験のため中断していましたが、中学に入って英語も加えて再開。中3まで続けました。その後、教室を辞めたあとでも、大学入学時、就職時など、人生の節目には必ず教室をたずねました。近況を報告する程度ですが、公文の先生は私にとって“人生の恩師”だと思っているからで、自然に足が向きました。
先生は、ダメなことはダメと諭してくれたり、中学受験時には親身になってアドバイスしてくれたりと、ことあるごとに私を支えてくれました。会うとほっとする“第二の母”のような存在です。結婚時にも妻を連れて挨拶に伺ったほどです。
公文式そのものも「やっててよかった」と思うことばかりです。基礎学力が身につくのはもちろんですが、忍耐力がつきますし、時間を計って学習するので達成感が得られ、時間内でやり切る実践力が身につきました。いわば人間としての基礎力が、公文で養われたと思います。そのお陰で、証券会社時代も現在も、へこたれそうなときでもやり抜くことができています。
過去は問わず分け隔てなく採用
再犯率を下げるための「職親プロジェクト」
千房では以前から、元受刑者を従業員として迎えています。元々は、創業時の1973年、オイルショックで人材不足だったことが影響しています。当時の社長であった父は、学歴・職歴・経験問わず、履歴書も不要ということで人を採用していました。
あるとき父が社員寮に行ったら、従業員のアルバムが開いておいてあったので、見てみると皆のやんちゃ時代の写真があったそうです。その後、写真の彼は少年院に入所していた過去を父に打ち明けてくれたそうです。でもそういう人が実績を上げ、主任になり店長になり幹部になっていく。過去はやんちゃでもしっかり更生していく人を見てきた父は、過去に問題があった人でも分け隔てなく雇用していました。
やがて法務省から受刑者の就労支援への協力依頼をいただき、2013年には日本財団と関西の企業7社とともに「職親プロジェクト」を発足するに至りました。これは、再び罪を犯すことを防ぐため、また犯罪で悲しむ方を増やさないため、「就労」「教育」「住居」「仲間づくり」の視点で元受刑者の社会復帰を応援する活動です。
この「職親プロジェクト」発足後、まもなく私が入社したのですが、じつは入社後すぐ、愕然としました。必ずしも従業員全員が、こうした活動に納得しているわけではないことを知ったからです。
私自身は、元受刑者に対する抵抗感はまったくありませんでした。自分が子どもの頃から、元やんちゃな従業員に囲まれ、かわいがってもらい、育てられてきたとの思いがあるからです。しかし正直、様々な問題が起こっていたのも事実でした。店の売上金を取って逃げたり人間関係で問題を起こしたり……現場は困惑していたと思います。
関連リンク 大阪道頓堀のお好み焼専門店 千房-ちぼう-【公式】 千房 株式会社 / Facebook 千房 株式会社(@CHIBO_Co_Ltd) / Twitter日本財団職親プロジェクト公益財団法人OMOIYARIプロジェクトテレビ大阪「やさしいニュース」カメラが捉えた!日本最大級の少年院・独占密着ー180日の記録 / YouTube(🎞️2022/10/15)
後編のインタビューから -ファミリーの心で善をつらぬく |