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Vol.372 2020.09.29

~創始者公文公の言葉より~

    公文式の原点⑥
 <ちょうどの学習>

公文式の創始者である故・公文公が遺した言葉をご紹介しながら、公文式が目指す教育につ
いて、あらためて考えていくシリーズ。第6回目のテーマは「ちょうどの学習」です。

目次

子どもの学習には、それぞれの能力に応じた、ちょうどのことが与えられるべきである。子どもが勉強嫌いになるのは、学力にちょうどのことが与えられていないからである。ちょうどのことが与えられると、子どもは喜んで勉強する。学年を越えて進むことができる。一斉授業ではちょうどのことが与えられていない。子どもには適当な時期にちょうどの学習の機会を与えるべきである。・・・・・・公文 公

これまで5回にわたって、公文式の創始者・公文 公の言葉をご紹介しながら、公文式は「家庭教育」の立場に立って「個人別・能力別」の学習を徹底しようとしていること。そのために用意された緻密に構成された教材によって「自学自習」が可能となり、まだ学校では習っていない領域、つまり「学年を越えて進む」ことも可能になるということ。そして、学年を越えて進む体験を通じて、一人ひとりの子どもが意欲と挑戦力を持って自分自身の「可能性の追求」をしていくことを目指している教育であると述べてきました。

前回までに述べてきた5つを実現していく基盤になっている方法こそ、徹底して一人ひとりの子どもに「ちょうどの学習」内容を与えていくということです。年齢や学年で輪切りにするのではなく、その子その子の、その時点の能力にちょうどのことを学習させてあげることを公文式は貫いてきました。

公文式の原点

その際、留意しなければならないのは、子どもの能力はいつも変化しているということです。たとえば、算数の九九を5回の練習でマスターできる子もいれば、10回、20回・・・の練習が必要な子もいます。その子にとって必要十分な練習量は一人ひとり違うからです。さらに、九九の段階で他の子より多い練習が必要だった子が、方程式に進んだときには他の子より少ない練習量でマスターできたということも決して少なくないことを知っておいていただきたいのです。

子どもの(人間の、と言い換えてもいいかも知れませんが)能力は、向上への志を持って正しい努力を積み重ねることによって輝きをどんどん増していきます。普通の子や、あるいはやや遅れた子であっても、その子にとってのちょうどの学習を積み重ねていくことによって優秀な子になっていく可能性がある、と公文式が訴えるのはそのような事例をたくさん目の当たりにしているからです。

ちょうどの学習は、他と優劣を競わせるのではなく、あくまでもその子どもを主人公として、一人ひとりの可能性を限りなく引き出していく教育法です。「学ぶ」ということは、昨日までできなかったことを明日にはできるようにしていく、自分自身の成長・向上への挑戦だ、と公文式は考えるからです。

*このコラムは、1999年の広報誌『文』に掲載した記事の引用です。

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