子どもたちをとりまく教育環境としては、まず家庭があり、学校があり、そして地域社会の三つがあります。
この三つが、ある部分ではオーバーラップしながら、有効に機能しあってこそ健全な教育環境の基盤が形づくられるものと思います。教育のすべてを学校だけに任せようというのは根本的な誤りであり、その誤解が学校の現状を混迷化させている一因ではないかとさえ考えられます。
公文式は、学校教育に代わるものではなく、毎日学校に行っている子どもには家庭での学習としては何を、どのようにさせるのが最も望ましいかという立場から考えられたものです。ですから、公文式はなるべく学校とは重複させないように、学校で習うあれもこれもと欲張らず、すべての学習の基盤となる「読み、書き、計算」の知的技術の習得に目標をしぼって重点的に学習させるようにしているのです。
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「読み、書き、計算」の知的技術は、習得できるまでの個人差が大きく、一人ひとりの状態に応じて、それぞれに必要なだけの練習をしなければ十分な力を保証してあげられません。それを学年別一斉授業の枠組みの中だけで、全ての子どもに等しく習熟させようとすることには無理があります。
さらに、わが子のゆく末に責任を持つ保護者の立場としては、現在の学年にこだわるのではなく、先々になっても安心できる学力を子どもに身につけることを考えたいものです。そのため公文式では、中学・高校になった時にこそ困らないように、高校教材ができるようになることを一つの目標としているのです。
学校にしかできないこと、つまり集団の中でこそよりよく学べることと、一人ひとりに対応できる家庭教育・家庭学習でこそ効果が高いことを、はっきり区別し、家庭ではそのことにエネルギーを集中していく。そうしてこそ、お互いのいいところが相乗的に効果を発揮して、よりよい教育環境を作っていくものと信じます。
*このコラムは、1999年の広報誌『文』に掲載した記事の引用です。
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