子どもたちから反発を食らい、自分のいたらなさに気づく

私には「心理学の技法を使って、障害をもった子と実践の場で働く」という目標があったので、東京大学の大学院では心理学の勉強に邁進します。入学後、すぐに障害児施設に通い、子どもたちの生活指導支援を3年間行いました。昼は施設と大学院、夜は家庭教師という多忙な日々でしたが、辛いことは一切なく、とても楽しく、たくさんのことを学びました。
ところがあるとき、施設の子どもたちから大きな反発を食らいます。私は障害のある身内とずっと一緒に生きてきたこともあり、「この子たちをかばわなければ、守らなければ」という気負った思いで関わっていた自分に気づきました。子どもたちにとってみれば、そういう一方的な思いは迷惑だったのでしょう。もっと相手の立場を尊重し、相手からも学びながら関わっていかないと本当の実践はできないと強く感じました。この体験があり、それからは実践の場をサポートする研究者の道を歩むことになります。
大学院修了の後、北海道大学の乳幼児発達臨床センターで、乳幼児期の子どもたちと接しながら研究をし、母校の東京外国語大学にもどったのは37歳のときでした。その後も研究を続け、58歳のとき白百合女子大学に移りました。
当時「日本の発達心理学のメッカ」と言われたほど、そうそうたる先生方が活動しておられた大学で、小生もそこに発達心理学の研究交流センターを創りたいと考えたからです。夢のような思いが実り、学内だけでなく学外や国際的な共同研究もできるようになりました。さらに実践者と研究者、企業などとコラボレーションできる機関として、2008年に生涯発達研究教育センターの創設に至りました。