子どもを育てる教員こそ
「自らを育てられる人」であってほしい
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じつは、今回インタビューを受けるにあたり、誕生以来の「自らの記憶」をたどって年表形式に書き起こしてみました。あらためてさまざまな出来事があり、行く先々でいろいろな方に巡り会い、助けられ、今があると感じています。
私は今、75歳です。60歳で茅ヶ崎市立の小学校校長を最後に、教員としては定年退職しましたが、現在も「響の会」という、私が52歳のとき個人的に立ち上げた研修組織の会長として、各地で講演をしています。
もちろん公立校の教員向けには、国や行政で行う研修がありますが、それとはまた違った視点で教育を考える、とくに民間会社経営の視点を入れて考えることで、教員の授業力の向上を目指しました。そのため、講師は私だけでなく、本物の教育者や教育にかかわる民間企業の方にもお願いしています。テーマは「学校経営」や「企業経営」、「教育界の人材育成」などさまざまで、教育界に限らず幅広い業種の民間企業の方に講師をお願いすることもあります。
公立校の研修は税金でまかなわれるので、参加する先生方の自己負担はありません。しかし、「響の会」には公的な支援はありませんから会費制です。私は「木戸銭」といっていますが、身銭を切ってでも学びたいという熱意のある先生に来てもらいたいと思っています。教員は子どもを教え導くのが仕事ですが、その前に「育自学」ができる人、つまり、「自らを育てることができる人」、「自己研鑽ができる人」であるべきだと思っているからです。
「響の会」は、最初は私が茅ヶ崎市立小学校の校長時代に地元で始めたものですが、おもしろいもので各地にも飛び火して、現在は茅ヶ崎のほか、広島、高知、豊橋でそれぞれ開催されています。
公文式にみる「理想の教育」
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私は2007年から5年間、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問を務めさせていただきました。そもそもは、私が小学校の校長をしていたとき、「今の学校教育の現状を知りたい」との相談を受け、茅ヶ崎エリアの公文式教室の指導者向けに講演を引き受けたことからKUMONとのおつきあいが始まりました。KUMONは指導者の横のつながりが強く、口コミで内容が伝わったのか、それから各地の指導者にお話をするようになりました。そしてその後顧問に、と声がかかったというわけです。
じつは、KUMONについては、小学校の先生方からきいていました。KUMONに通っている子は、「それはもうできるよ」「それはやったから」と言い、「クラスのハーモニーを乱す」というのです。公立学校の教員は子どもたち全員を平等にしようとしますから、すでにKUMONで学んでいて学習が進んでいる子がいると、足並みが乱れてやりにくいのは当然です。しかし、そもそも子どもはそれぞれ違い、本来、一人ひとりをみて教育するべきです。
公文式学習のことを知るにつれ、私はむしろ、KUMONに見習うべきだと感じました。KUMONの指導者は、「個」をみてその子の進度に合わせて教えています。声かけも、その子が伸びそうなちょうどいいタイミングで行います。学校の教員が「やりにくい」と感じるのは、教員の指導能力にもよると思います。私は小学校の教員に「KUMONに勝てばいい」と言いました。
小学生の子どもに対しては、見守る保護者と地域が、KUMONの指導者が子どもたちにするように愛情に満ちた厳しい目を注ぐことがとても大切です。それが子どもたちを成長させるのであり、そうすることが理想の教育といえるでしょう。
KUMONの指導者は子どもを教える先生であると同時に、ひとつの教室を運営する経営者でもあるので、全体を見渡す力に長け、リーダーシップがあります。KUMONの指導者は、教室に通う子どもの人数が減ったら「これは私が手を抜いたから」と自分の責任としますし、会費が遅れているご家庭があれば、なぜ遅れているのかも把握できています。自主的に各種の研修会に参加されるのも、学びへの熱意、子どもへの思いが伝わってきます。福岡での私の講演には、東京から来られる方もいるほどでした。
人生が大きく変わった小学校の先生との出会い
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今日の私の礎を築いてくれたのは、小学校5・6年生時の担任だった田島直人先生です。大学を卒業したばかりの新任の先生で、この先生との出会いで私の人生は大きく変わりました。私は6人兄弟の末っ子として昭和19年に生まれましたが、父は翌年に戦死。父のことを知らずに育ち、10歳上の兄が大黒柱でした。小学校に行っても、友だちとあまりしゃべることもない、何もできない子で、3年生のときにはいじめにもあいました。当時の担任に訴えても何も変わらず、本当に学校に行くのがつらかったです。
それが、5年生で田島先生が担任となってから一変しました。野球が上手な先生の呼びかけで全員で野球をやることになり、キャッチボールがうまくできない私に、繰り返し動作のコツを教えてくれました。私ができるようになると、「できなかったんじゃないよ。やらなかっただけだよ。やればできるんだよ」と言われたのです。
そのひと言で頭の中が充血しましたね。「そうなんだ、やらなかっただけなんだ」と。帰宅後もキャッチボールがやりたくて、近所の子に相手を頼んだら、その子がびっくりしていました。以来、明けても暮れても野球をやるようになり、教員になってから野球部を指導し、プロ野球選手になった卒業生もいます。
おもしろいもので、自らの還暦の同窓会のとき、私が運動音痴で引っ込み思案だったことを覚えている人はいませんでした。田島先生だけは、「2年間ですっかり変わったもんな」と。教員というオトナの言葉ひとつでこんなにも変わるという実例です。
6年生の頃、作文に「大きくなったら田島先生のような先生になる」と書きました。するとご本人から、「田島先生のような先生になっちゃダメ。日本一の先生になりなさい」と言われました。中学を卒業して進学先の高校名を田島先生に伝えると、「なんだ、君はぼくの後輩だよ」というのです。感激してその帰り道、どう帰ったか覚えていません。母校の中学校の教育実習では、なんとその田島先生のご長男を教えるという奇跡もありました。こんな経緯があるので、教員になって、黙っている子、自分から心を開こうとしない子に、何をすればいいかということをずっと考えてきました。
関連リンク 歩禅記(ブログ)
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後編のインタビューから -子どもたちの「心の窓」を開くには |
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