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Vol.053 2019.03.15

教育実践「響の会」会長
角田明先生

<後編>

愛情に満ちた厳しい目を注ぐことが
子どもを成長させる
「個」をみて教え導こう

教育実践「響の会」会長

角田 明 (つのだ あきら)

教員生活36年。私立高校を皮切りに、公立中学・小学校で、子どもたちとはもちろん、保護者や地域と向き合ってきた角田明先生。教員の力量を上げようと、1996年に教育実践ゼミナール「響の会」を立ち上げ、現役教員のための研修を開始。2007年からは日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務め、KUMONの指導者にも大きな刺激と影響を与えていただきました。子どもを取り巻く環境が変わりつつある中、子どもの育ちを支える大人がすべきことはどのようなことなのでしょうか? 教員を目指したきっかけから、さらに教育の本質についてもうかがいました。

1944年熊本県生まれ。1969年から神奈川県内の高校、中学の英語教師として学校教育に従事。1988年に神奈川県茅ヶ崎市の教育行政と学校現場とを往復しながら指導主事を務めた後、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を経て、2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長に着任。2004年に退職後も、教育実践「響の会」会長として各地で講演活動を行う。著書に『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)など。

目次

「心の窓」を開くために高校生を家庭訪問

教育実践「響の会」会長 角田明先生

恩師に憧れて教員になると決めた私は、「教育学部でなくても教員にはなれるよ」との高校の担任教員の助言で、大学は得意な英語が学べそうな貿易学科へ進学します。

大学生時代には、恩人といえる方との出会いがありました。神奈川寒川町の大久保さんご一家で、私のために畑に一軒家を建ててくれて、そこで私は大学生ながら塾を開き、実家からの仕送りがなくても生活ができました。血縁関係もないのに大久保さんは、「自分は戦争から生きて帰って来られた。死んでしまった戦友のために私ができることをしてあげているだけなんだ」というのです。この言葉は、その後の私の指針となりました。

いざ就職となると、故郷の母をラクにしたいという思いから、給与が高かった商社を希望。しかし入社には至らず、1年間大学の聴講生となり、そこで教員免許を取得しました。

大久保さんの紹介で最初に勤めたのが神奈川県内の私立高校です。クラスの生徒42名のうち半分は県立高校の不合格者。その生徒たちは覇気がなく、明らかに教員に対して不信感を持っていました。この子たちの「心の窓」を開こうと、思いついたのが家庭訪問です。高校生にもなって家庭訪問なんて……と、生徒たちから反発されましたが、夏休みに1日1戸ずつ実行したところ、胸の内を語ってくれました。9月の始業式にはそれまであった遅刻者がゼロ。保護者が勤務していた保養所で、4日間の勉強合宿も行いました。教員が心を開くことで、生徒たちも心を開いてくれたのです。

よく「開かれた学校」といわれますが、このようにお互いが心理的に「開く」ことが必要ではないかと思います。物理的にも「開く」ことが大切です。私は小学校の校長だったとき「ガラス張りの校長室」をつくりました。はじめは校長室のドアと窓ガラスを開けて、子どもたちが入ってきやすくしていましたが、冬になり締め切らねば暖房費のムダになるということで、ガラス張りに替えたのです。教員は、校長室に苦情に来た親が誰なのかがわかってしまうので嫌がりましたが、子どもたちの意見を取り入れた結果でした。

角田先生が考える「学び」「教育」とは

日常の「個の学び」の確立が、集団の中での学びを保障する

教育実践「響の会」会長 角田明先生

日本の教育制度は、大きく変わろうとしていますが、制度を変えることだけでは教育が変わるとは思いません。そうした中、子どもたちには、日本の中で閉じるのではなく、一人ひとりがしっかり学んで、世界にはばたく心持ちでいて欲しいと思います。世界に羽ばたくと、いろいろな文化を知ることができます。同時に、日本の現状を相対してみられます。そのときに大切なのは「自分が日本人のDNAをもっている」という誇りをもてるか、ということです。それには、日本の歴史を良くも悪くもきちんと学ぶ必要があります。

子どもたちが世界にはばたき、いきいきと活躍するためには、保護者が「投資」することが必要です。もちろん金銭的な投資だけではありません。「教え導く」、つまり教育することですが、保護者がそうできるようしっかり育っているか少し心配です。「何点とればあそこの高校に行ける」という教えでは子どもがかわいそうです。

もうひとつ、私が抱いている危機感は、安易な迎合がなされていないかということです。例えば、「荒れる成人式」問題では、行政が苦労して相手に迎合しているように感じます。迎合されて育ち、「自分たちがやりたいことをやればいい」となってしまった人が親になったとき、わが子に何を教えられるか不安です。

迎合はあっていいのでしょうが、筋が通っていないといけません。「相手の立場になる」ということも、本来は厳しさもあるものです。それが「相手の思うとおりになる」となってないか。子どものいうことに迎合して、子どもの思うとおりにされている保護者も少なくないと感じます。

そうではなく、悪いことは悪いという。「個」の年齢に応じて、最大公約数的に必要な人間性を作れるよう、人生観を教え導くのが教育です。教育は学びに拍車をかけるものであり、学びを保障するのは集団、つまり学校です。しかし、日常の「個の学び」が確立されていないと、集団の中での学びは保障されません。集団の中での学びが保障されれば、「個の学び」をさらに伸ばしていけます。

角田先生からのメッセージ

「人は人によりて人になる」を肝に銘じて子どもを育んでいこう

教育実践「響の会」会長 角田明先生

私は「他者から自分の存在を十分に認められる」人間を育てることをポリシーとしてきました。私自身もそうなるよう心がけ、今でも頼まれたら何ごともやるようにしています。おかげさまで講師の声をかけられますが、頼まれなくなったらおしまいです。そのために自己研鑽を続けています。請われることが退職後の自分の仕事だと自分に課し、この期間は現役のとき、さまざまな方にお世話になった「恩返し」の期間と位置づけました。

うれしいことに、私の活動に共鳴してくださった先生たちが、各地で自分たちの「響の会」をつくってくれています。私が助言しなくても、自主的に活動できる人たちです。それぞれのカラーを出して、学び続けて欲しいと思っています。

教員人生を振り返ってみると、失敗と反省ばかりでしたが、多くの人に支えられてここまで来られました。まさに「人は人によりて人になる」との言葉通り、人を育てるのは人だということを実感しています。

ですからKUMONも今のまま、人のぬくもりを大切にし、子どもたちと向き合ってください。教室の指導者が頂点となり、子どもたちと一緒に学び、笑い、苦しみ、泣いて…という悲喜こもごもを教室の中で流せる教育を、貫いて欲しいと思います。

じつは、私にはずっと心に残っているしこりがあります。初任地だった私立高校の生徒たちを2年間しか務めず、彼らの卒業を見ずに公立中学校に移ってしまったことです。しっかり彼らを育ててから移ればよかったのですが、若くて不勉強だったこともあり、自分の思いを優先してしまい、それっきりになっていました。それが昨年の12月、ずっと音信不通だった卒業生たちから電話がかかってきたのです。その卒業生たちも歳はすでに60過ぎ。お酒の勢いでかけてきたのかもしれませんが、桜の咲くころ、約半世紀ぶりに再会できそうです。

関連リンク 歩禅記(ブログ)


教育実践「響の会」会長 角田明先生

 後編のインタビューから

-教育実践「響の会」が目指すもの
-角田先生から見たKUMONの指導者
-教員を目指すきっかけとは?

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