スポーツを通じて「情熱と理論がそろうと、人や組織は動く」と実感
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大学卒業後は、岡山大学の麻酔科で2年間研修しました。当時の医学部は、卒業後すぐに専門を決めていくのですが、私には行きたい専門科がありませんでした。当時の岡山大学の麻酔科は、2年間の研修修了後、好きな科に行くことを認めてくれる珍しい科でした。そこで、基本的な蘇生法や全身管理など、この先どの科に進んでも役立つ技術を身につけながら自分の進路を考えようと思い入局しました。
そんな理由で入った麻酔科は、体育会のような厳しさもありましたが、とてもアットホームな雰囲気で、人間関係もとてもよく、充実した研修生活を送ることができました。そうしたこともあり、2年の研修が終わるとき、そのまま麻酔科に残ることも考えました。しかし、自分が本当に取り組みたいことは何なのか?と自問した時に頭に浮かんだのは、スポーツで体験した「人間がモチベートされたときに発揮されるパフォーマンスの素晴らしさ」でした。
特に大学時代に体験したアメフトは、戦術(理性)と闘志(感情)という正反対の要素が同時に求められるスポーツで、多くのものをここから学びました。
アメフトは戦術がものを言うスポーツで、ひとつひとつのプレーでそれぞれの選手がどのように動くか細かくデザインされています。そしてその戦術の優劣が勝敗を大きく左右します。しかし戦術が優れていれば必ず勝てるかと言うとそうでもありません。それを遂行する選手のモチベーションが低いと、いかに優れた戦術であってもあまり役に立たないのです。アメフトは体が激しくぶつかり合うスポーツだけに、選手の闘志がそのままパフォーマンスに表れてしまいます。試合中、誰が闘志を保ち、誰の心が折れてしまったか、周囲の者にもはっきりとわかるくらい、闘志やモチベーションでパフォーマンスが大きく変わってしまうのです。
一方で、そうしたモチベーションは言葉によって大きく変えられることも体験しました。試合前、円陣を組んだ選手に向かって監督やコーチが語りかけるのですが、そこでは、厳しい練習をやり抜いてきた選手を承認すること、これまでの練習の意味、そして試合という場が与えられることへの感謝などが、ひとつの「物語」として語られます。そうした物語から、自分たちの取り組みに大きな「意義」を感じられたとき、選手たちのモチベーションに「火」がつくのです。たった1分程度の監督やコーチの話で選手の目の色がガラリと変わる、「絶対にやり抜いてやる!」とモチベートされるという体験から、言葉のもつ力のすごさを体感しました。こうしてモチベートされた選手たちが、優れた戦術を遂行するとき、ものすごい力を発揮するのです。
そうした体験から、「人はどうしたらモチベートされるのか」「どういうときに達成感を感じるのか」を追求していきたいと考え、医学の中でそれができるとすれば精神科しかないと思い、精神科医になることに決めました。
振り返ってみると、自分の人生はつくづくスポーツにその根幹があったのだと実感します。小さい頃、野球を続けていたことで、努力することの大切さを学びましたし、大学時代に「モチベーション」に興味を持ったのも、「何かに取り組むときの姿勢によって、結果が大きく変わる」ということを実体験として学んだことがあったからでしょう。またこうしたスポーツの体験から、「情熱と理論が揃うとき、人や組織が動く」ということも学びました。子どもの頃「なんとなく関心があった」ことが、このころにようやく明確になったのです。
マインドフルネスとの出合いは、2003年、勉強の一環で講演を聞いたのがきっかけです。しかし、その時はその必要性や意味、なぜうつ病などの症状が良くなるのかといった理屈がさっぱりわかりませんでした。そのためしばらくは距離を置いていました。ところが、2010年にたまたまマインドフルネスの本を手にする機会がありました。「ああ、あれね」と半ば冷ややかに思いながらパラパラページをめくっていたら、そこにはマインドフルネスを取り入れたら、うつの症状がなぜよくなるのか、そのメカニズムが臨床的な観点からしっかり書かれていたのです。
見よう見まねで自分もやってみると、心のありようが変わり、ストレスが減りました。もっとしっかり勉強したいと、翌年オックスフォード大学の研修に参加。以来、研究を続けています。