「犯罪白書」を愛読するほど
刑事事件を扱いたかったが……
ラ・サール学園時代に弁護士への夢が固まってきて、東京大学へ進学しました。大学2年のころから司法試験を受ける準備を進め、4年生で初めて受験。4回目で合格し、2001年に弁護士登録しました。当時は、「司法試験に合格して弁護士事務所に入ったら、5~10年で独立するのが当たり前」だと考えていました。ところが現実は違いました。
実は私は刑事事件に関心があって、学生時代は「犯罪白書」を愛読していたほど。それで弁護士になったら刑事裁判を扱いたいと考えていたのです。また、司法修習時代は北海道の釧路市に配属され、そこでお世話になった稲澤優先生も民事事件を中心にされながら刑事事件も扱っておられました。
ところが最初に入った弁護士事務所は、刑事事件は扱わず、企業法務、しかも国際的な案件をメインに扱うところでした。実は私は企業法務については馴染みがなく、その上学生時代は英語が苦手。ようやく英語から解放されると思っていたら、また英語を勉強する羽目になってしまいました。
企業法務をよく知らないのに、なぜそれを扱う法律事務所に就職したのか。振り返ってみると、司法修習生時代に、狛文夫弁護士という国内外で高く評価されている先生に出会ったことが転機でした。就職活動の一環で狛先生を訪ねたところ、2回ほど2時間ずつくらい食事をしながら、留学中の話などを楽しそうに話してくれました。「人生経験として留学しておくといいよ」と勧めてくれたのも狛先生です。そうした話と狛先生の魅力にひかれて、マチ弁的な仕事もしているかどうかよく確認せずに、先生がいる事務所に就職したのです。その後、事務所が合併したりして名称は変わりましたが、「企業法務、中でも国際案件」という私の業務内容は変わりませんでした。
2005年まで働いていたあさひ・狛法律事務所では、国際部門の若手弁護士に、1年ロースクールに留学して、その後現地で1年働くことを勧めていました。そこで私も留学するため、平日は仕事後に数時間、土日は図書館で英語を学び直すことにしました。なかなかハードな生活でしたね。
ロースクール時代の友人と |
2005年に渡米し、最初の1年はロースクールで学び、次の1年は現地事務所で働いて2007年に帰国。その後、ベーカー&マッケンジーへ就職しました。この2年間は、かけがえのない学びの期間となりました。
ロースクールでは英語での講義に必死についていき、何とかニューヨーク州の弁護士資格を取得。卒業後働いた、Weil, Gotchal & Manges LL.P.というローファーム(法律事務所)のシリコンバレーオフィスでは、日本企業が巻き込まれた大がかりな訴訟にも関与し、アメリカの訴訟弁護士の仕事の仕方や考え方を肌で感じることもできました。また、ロースクールでも、現地事務所でも、同世代の同業者が多くいましたので、友達も多くできました。
KUMONの「学習療法」海外展開に尽力
KUMONの学習療法を海外展開するため、サポートしてくれないかと依頼をいただいたのは2009年3月です。学習療法にアメリカの介護事業所などが興味を示していて、北米進出のチャンスなので、もし話が前に進むようであれば入ってもらえないかと、知り合いの弁護士の方にご紹介いただいたのです。
仕事としては、共同研究やライセンスなどに必要な条件などを先方の弁護士と交渉し、契約書などを英文で作成したりする仕事であることはイメージできていました。ただ、どんな案件でも同じですが、まず依頼主がどんなことをしているかを理解することが出発点です。英語であれ日本語であれ、理解できないと契約の際に、「どこが大切か」がわかりません。
長丁場のプロジェクトになりそうだという意識もありましたので、KUMONの学習療法を理解することから始めました。その一助として、実際に国内各地の学習療法を導入している施設や「脳の健康教室」をKUMONの社員の方と一緒に見学させていただきました。様々な発見もありましたね。たとえば、当初はKUMONの肝は教材だと思っていたのですが、現場のオペレーションも大事だということ。もちろん教材も重要ですが、教材を行う順番や適切な声がけが鍵だということに気づいたのです。
こうした独特なスタイルを持つ学習療法を海外に展開して、果たして現地のカルチャーに合うのか、私だけでなくKUMONの方々は心配だったと思います。心配が安心に変わるよう、私は、他に似たような事業を展開している事業者がいないか、現地でビジネスとして成り立つために必要な要素は何か、といったことを調べたり考えたりもしました。
何度も渡米し、現地事業者とKUMONとがWin-Winとなる関係を作れたと思っています。私が、というよりも、KUMONの関係者が力を尽くしてくださったお陰だと思います。文化や領域が異なる相手とは、誠意をもって対応することが重要であることを改めて実感した、とてもいい経験でした。相手方の社長(社長も弁護士資格を有している方でした)や弁護士も、私より二回り以上年上のかなり経験のある方でしたが、いい関係を築くことができ、多くを学ばせていただきました。
実はKUMONが学習療法を展開していることは、このプロジェクトに参加するまで知らなかったのですが、学習療法は高齢者に有益な活動だとすぐに勘が働きました。とくに「くり返しが脳にもいい」ということは、とても合点がいきました。毎日やれば力になる。やらないと衰えていく。それは私自身がKUMONをやっていて実感できたことと同じです。その人にとっての「ちょうどの学習」というKUMONの哲学も腑に落ちました。
この学習療法の北米プロジェクトでの活動が、「僕がジョンと呼ばれるまで(邦題)」というドキュメンタリー映画になっていることをご存知の方は多いかもしれません。実は、僕も、クリーブランド出張中にたまたまカメラが回っていて、あの川島隆太先生と一緒にいるところが映画に写り込んでいるんですよ(笑)。
その人にとって一番よいであろうものを提供できる点、毎日継続して前に一歩一歩進められる点が、公文式学習の大きな特徴だと思います。私自身、地方に住んでいても、40年以上前から前進する機会をいただきました。そのおかげで今があります。考えてみればすごいことですよね。そして、そのKUMONと職業人として関わることができたのは、本当に幸運でした。
壁にぶつかったら一歩下がってみよう
私の場合は性格なのか、「困難だ」「大変だ」と思うことは、あまりありませんでした。「難しいな」と思うことはありますが、「難しい」と言いながら、それを楽しんでいる自分もいます。
ロースクール時代 スキー場で |
そんな私でも「この事件が終わったら事務所をやめよう」と思ったことは若手のころは何度かありました。それでもこれまで続けてこられたのは、周囲に相談すると、ほかの人もそう思いながら続けているということが分かるからです。「ああ、みんなそうなんだ」と思いつつ、2~3年先の先輩を見てみると、「もう少し先にいけば大丈夫かな」という気持ちになりました。
つらいときは、少し先を眺めて見ると、また違った景色が見えてくるのではないかと思います。「できるかな」と思いながらもチャレンジしていくと、やがて気持ちが前向きになることもあります。
最近こんなことがありました。工学領域の案件で、専門家(某国立大学の名誉教授)にご意見を頂戴するために参考資料を読んでいると、微分積分を使った式がたくさん出てきて戸惑いました。かなり高度で、読み解くことが難しい。その先生に指導を仰ごうかとも思いましたが、数学が得意だったことを思い出し、自力で勉強しなおしてみることにしました。基本的な参考書を何冊か買って取り組んだところ、なんとかアウトラインはわかるようになりました。その上で、先生にご指導のお時間をいただき、自分なりに理解することができました。
この経験を通して感じたのは、「一歩下がってみる」ことの大切さです。難解なことに遭遇しても、基本的なところに立ち返ってからもう一度難しいことを眺めていくと、以前よりは少しわかるようになります。これを繰り返していけば、最後は全体を理解できるようになります。そうして理解ができると純粋に楽しいですし、昔勉強したことが、今やるとまた見方が変わってくるという発見もあります。改めて「学ぶことはおもしろい」と思ったできごとでした。
公文式学習のお陰か、自分の強みは「粘り強さ」だと感じています。数ヵ月、1年単位で目標を決めて、それに向かって粘り強く少しずつ前に進むことを大切にしてきました。保護者の方もお子さんに対して、「その日に解決しなくちゃいけない」と思いすぎずに、「少しずつでも前進していればいい」と思うようにしてみてはいかがでしょうか。一日一歩でもよくて、それを積み重ねていくことが肝心だと思います。
私自身、これまでのキャリアを活かしつつ、マチ弁的なこともしながら、「幅広い知識と経験をベースに、高い視点から案件を見られるようになる」という新たな目標に向かって、これからも粘り強く、コツコツ歩んでいこうと思っています。
関連リンク 学習療法-映画『僕がジョンと呼ばれるまで』|KUMON now!学習療法センター
前編のインタビューから -企業法務から「マチ弁」へ |