「勉強」とは「他人の頭を使って考える」こと
「哲学」とは何か。簡単に表現すると「ものを考える」ことです。でも、「ものを考える」こと自体は、誰でもしていますよね。なので、ある意味では、哲学を研究する人だけでなく、一般の方々も「哲学者」といえます。けれども同じことをしているかというとちょっと違う。
では、どこに違いがあるのか。それは、職業哲学者が「ただものを考える」のではなく、「他人の頭を使って考える」ところです。西洋哲学には約2500年前から続いている「哲学の歴史」があり、職業哲学者である私は、その知的リソースを引き継いで考えています。哲学者としての私のモットーは、「自分の頭だけでは考えないこと」。つまり、2500年連綿と続く知の巨人たちの言葉を聞きながら考えることです。

子どもは、周りの大人たちから「自分の頭で考えなさい」とよく言われますよね。この「自分の頭で考える」というのは、今自分の中にある考えや発想をよく吟味しなさいということですが、今ある手札だけでは解決しない悩みや問題の方が多いですよね。自分なりに考えてもどうしようもないから、悩みごとは悩ましいわけです。
そういうときは、今の自分の手札にない見方とか考えを学ぶ必要があります。それが「自分の頭だけで考えない」とか、「他人の頭を使って考える」という逆説的な表現で言いたかったことです。そもそも、勉強することの核心には、今の自分にないものを自分の外側から学ぶという部分があります。それをおさえておくことが大事ですね。
私は普段、芸大デザイン科の教員として、制作の指導も担当しています。とはいえ私は哲学者であって、ものづくりの専門家ではありません。では何をしているのかというと、例えば机をつくるにあたり、どんな机がいいのか、どんなコンセプトでつくるかを相談したり、つくっているときの素材選びや加工法がそれでいいのか、元のコンセプトと整合しているかといったことを一緒に考えたりしています。言うなれば、学生が「他人の頭を借りて考える」ように手助けしているわけです。
文化が潤沢な「向こうの世界」に行きたかった
私は兵庫県の、住宅と畑しかないようないわゆる田舎町で育ちました。私立という選択肢はなくて、小中高と地元の公立校で過ごしました。地元は工場地帯で住宅ばかりだったので、暗渠(あんきょ)で遊んだり、狭い路地で鬼ごっこをしたり。小学生の頃、夏休みや冬休みには、大学生が引率する子どもキャンプによく参加していて、楽しい思い出がいっぱいありますね。火おこしがやけにうまくなったりとか。

小学校6年間、野球をしていました。始めたのは4歳上の兄の影響です。兄には体力や運動では太刀打ちできなかったので、「別のことに居場所を見つけないとな」と考えていたと思います。中学校くらいから、文化系の部活(吹奏楽)と勉強に力を注ぐようになります。
故郷は瀬戸内海に面しているけど、泳げるような海はない。そばに見える山も、石材をつくるために掘削されて、岩肌が露出していました。書店も小さい。自然も文化もない。だからか、野球を中心にスポーツが盛んなんです。そうした環境が、自己形成に影響しているように感じます。
華やかな文化について知る機会といえば、兄との会話、たまに聴くラジオ、古本屋、インターネットくらいです。近くに大きな書店や映画館がなかったので、文化的なことに体系的には触れられませんでした。小学生の頃からパソコンやインターネットにも触れていましたが、当時はまだまだ通信速度も遅く、検索キーワードも思いつかない。だから、文化への飢餓感があったんです。でも、乏しいなりに古本やラジオ、インターネットを介して、「ここではない世界」「向こう側の世界」みたいなものを感じたんですね。文化にアクセスしやすい都市部に行きたい、早く地元を離れたいと考えていました。

ただ自宅には、児童向けの「世界名作全集」をはじめとして本はたくさんありました。でも、自宅の本はあまり読まなかった。地元のヤンキーカルチャーでは、「真面目に勉強するのがカッコ悪い」という風潮があって、私も真面目さを隠していたんです。ですが、身近な場所に本がたくさんあったので、「本は身近なもの」「近くにあるもの」という感覚がありました。それは、研究者の道を選ぶ上でも大きいことだったと思います。あと、幼少期に絵本はよく読んでいて、『こんとあき』『てぶくろをかいに』など、きつねが出てくるお話が好きでした。五味太郎さんの絵本も独特な色遣いが気になって、繰り返し読んでいた記憶があります。
小学生のときは、ファンタジー小説にハマりました。「ダレン・シャン」シリーズ、「ネシャンサーガ」シリーズとか。背伸びして、『指輪物語』も読みました。あとは、児童小説の王道とも言える「ズッコケ三人組」シリーズ、「怪盗ルパン」シリーズ、江戸川乱歩など、学校の図書館に置いてある本は読み尽くしたと思います。それから『信長の野望』とか「ファイナルファンタジー」シリーズなどのテレビゲームも大好きでした。どれも「向こうの世界」を感じさせる非日常的な作品ばかりでした。
公文式は自分でゴールポストまで走ることができる

公文式は先に通っていた兄の影響で、未就学児の頃から始め、算数と国語をやっていました。当時はまだ、「英語!英語!」と世の中が語り出す寸前という感じで、英語は中学校から習うものでした。なので、私が公文で英語を始めたのは、小学校6年生くらいからだと思います。
小1で余りのある割り算まで進んだらしんどくなったみたいで、ふだんは大人しくて我慢強い私が、このときばかりは泣きながら「いやだ!」と言ったそうで、しばらく算数はやめていました。国語だけ継続している形ですね。でも学年が進んで、学校で割り算の授業を聞いていて「普通にわかるやん」と思って、小学校中学年くらいで算数を再開した覚えがあります。
学習塾にも通っていたのですが、高3の初めくらいまで公文式で国語と英語を続けていました。強いモチベーションがあったというより、とくにやめる理由がなかったんです。英語は物語的な長文だったので飽きなかったですね。単語帳をつくったり、自分で辞書を引き直したりして勉強していました。国語は、本を読むのが好きなので、問題はともかく楽しんでいた記憶があります。
公文式は学校の進度に対応していないからこそ、続けられたところはあると思います。学校の勉強はどうしても他人との比較や競争になってしまいますよね、テストの順位とか、平均点が示されるので。でも、公文式はそうではないから、楽しい記憶が残っているんだろうなと。
公文式の教室では、中学生くらいになると、皆、学習している教科や進度も違ってきます。3教科やっている人もいれば、2教科の人もいる。同じ学年でも、数学は同じくらいの進度だけど、国語ははるかに進んでいるということもある。そうなると、もはや競争心では公文でプリントをやっていられないわけです。競争心ではない仕方で自分のやる気を生みだせるかどうかという挑戦が、中学生辺りであるのはいいことだなと思います。
公文式は、禅宗の問答に近いんです。公文式教室の先生は手取り足取り教えるというやり方ではなく、とくに高校レベルになると解くのも難しくなってくるので、解答を見せてくれて、その解答にたどり着くまでのプロセスを自分で考えるしかない。これは実は悪くない方法で、「あとは自分でがんばるしかない」というのが私にとってはよかった。
学校の先生をはじめとして、「先生」という存在は完璧に答えを把握して、すべてを説明できることが期待されますよね。しかし公文の先生は説明する人ではなくて、プリントを採点して「もう一度」と言う役割です。野球のティーバッティング練習に近いというか、バットにボールが当たるまで振り続けて体が覚えていくような感じですよね。公文式は正解か不正解かしか教えてくれないから、自分でプロセスをたどれるようになるまで、とにかくやり直す。わかるまでやって、その感覚を覚えるまでやる。
学ぶ側が自分で学んでいく公文式のこの仕組みは、文化や言語を問わない。だから、公文式は世界に広がっているのだと思います。自分が大人になってから知り合った人の中には、私と同じように子どもの頃公文式をやっていた人もいます。先日も、公文式が海外に広がっているという話題で盛り上がったところです。
学ぶ側が主体的に探求できる環境をつくる

フランスの哲学者ジャック・ランシエールの『無知な教師』という本があります。ここでの「無知」は、悪い意味ではないんです。19世紀初頭、フランス人のジョセフ・ジャコトという先生が、自分が話せない言語から、自分は何も知らない専門的な技術まで、何でも巧みに教えることができたそうです。しかも、学生人気が高かった。どうしていたかというと、適当な教本を見つけてきて、学生たちと繰り返し読み上げていく。それでうまくいくんですよね。この事例を踏まえて、ランシエールは「無知な教師」という教育モデルを作りました。
私の大学での教育もそんなところがあります。私は専門的に映像の編集をしていたわけではありませんが、知らないなりに教えられるし、映像を見てコメントすることもできる。机を作ったことも、映像編集の仕事をしていたわけでもないのに指導ができるというのは、「無知な教師」のモデルで取り組んでいるからです。
高度な専門性が必要な職業人を養成する場合、例えば医師を育てる場合は、もちろん専門の教育者に教えてもらう必要がありますね。専門家から学べることは当然多いですが、専門家から学ばないことの効用もあるわけですね。「無知な教師」は、一緒に探求する人でありガイド役であって、「答え」を伝導する人ではありません。ここに妙な上下関係はないし、学ぶ側が主体的にならざるをえません。
教師が「答え」を握っていて、それを教え伝える教授では、主体的に探求する意欲が奪われることがあります。でも「無知な教師」の前では、学ぶ側は自分で目標とするゴールポストまで走らないといけない。「無知な教師」の仕事は、「答え」を教えることではなく、学ぶ側が主体的に探求できる環境をつくることです。
高校卒業後にも4~5年ほど公文の教室でスタッフのアルバイトもしていました。生徒側からスタッフになって見えた景色は、中学で高校数学とか先の教材をやるとなると難易度がはね上がるけど、やっぱり自分で解けるようになるまで本人にまかせたほうがいいということ。特に高校レベルの単元に取り組むときほど、「無知な教師」モデルを徹底したほうがいいですね。
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後編のインタビューから -「今やりたいこと」が将来も続くとは限らない |