「毎年開催されるユネスコの世界遺産委員会へ参加
デルフィの考古遺跡にて |
現在、私が担当している業務は、大きく2つに分けられます。ひとつは国内の城跡や歴史的庭園、考古遺跡などの文化財を保護するための計画を作ることです。文化財の現状を維持する「保存」と、教育や体験などを通じて文化財の価値を解りやすく伝える機会を考える「活用」をどのように行うかを、自治体の方と一緒に考え、計画にまとめる仕事です。
もうひとつは世界遺産に関する仕事で、これは更に2つの内容に分けられます。ひとつは、世界遺産登録を目指す自治体を支援する仕事です。
世界遺産になるためには、毎年開催される世界遺産委員会という国際会議で、新しく世界遺産に登録するに値する価値(「顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value, OUV)」と呼ばれる)を有しているかどうかを審議してもらう必要があります。そのために、OUVについて説明した「推薦書」を、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産センターに提出しなくてはなりません。
この推薦書の作成支援をする仕事にかかわっています。推薦書のボリュームは本文と付属資料を合わせて1,000ページに及ぶこともあります。
そしてもうひとつの業務は、毎年開催される世界遺産委員会に出席し、記録を作成する仕事です。
世界遺産委員会では、新しく世界遺産にするべきと各国から推薦された新規世界遺産候補の審査や、既存の世界遺産の保全状況などについて議論が行われます。新規の世界遺産候補の数は毎年だいたい20~30件、既存の世界遺産の保全状況は150件くらいに及び、世界遺産委員会の期間は10日間に及びます。
事前に公表される会議資料を日本語で整理したり、英語、仏語で行われる会議の概要を毎日日本語で議事録にまとめたり、議論の結果を整理して報告書にまとめたりするのが仕事です。
文化遺産に興味があった私は、就職する前も旅行などで国内外のさまざまな地域に足を運んできました。仕事で現地を訪れることができるだけでなく、文化遺産を次世代に継承していくプロセスに関われる今の仕事には、とてもやりがいを感じています。
公文式で「繰り返しの大切さ」を身につけた
小さい頃は、外で活動的に遊ぶよりも、家の中で絵本を読むのが好きな子どもでした。公文式教室には3歳くらいから通っていて、教室にある絵本などをよく読んでいた記憶があります。公文式に通うようになった理由は、母がいくつかの幼児教材を私に試したところ、一番反応が良く覚えが早かったのが公文式の教材だったことがきっかけだったそうです。それで教室通いが始まったと聞いています。
通っていた公文式教室にも多くの本がある環境でしたので、自然と読書の時間は増えました。教室には幼稚園生〜高校生と幅広い年齢層の子たちが通っていたので、本のレパートリーも多様性があったと思います。
いろんな本を読んでいると見たこともない風景の写真や絵が出てきますよね。そういう場所に「行ってみたいな」と思っていたので、「自由にいろいろなところに行けそう」な職業、パイロットになることが小学生の時の夢でした。
また、両親にもさまざまな場所に連れて行って貰ったこともあり、「知らない場所、新しい場所に行くことは楽しい」と移動や旅行などに対してポジティブな印象が育っていった気がします。
公文式は中学まで続けましたが、「身につくまで基礎を繰り返す大切さ」を教わりました。間違えた問題を何回も繰り返して考えるのは、子ども心にも嫌だったことを今も覚えていますが、繰り返していくと着実に自分の中に基礎がしっかりし、できることが増えて段々面白くなってきます。「面白くなるまでは辛いけど、基礎を我慢して繰り返しやっていく」、そういう姿勢が身につきました。
ただ、解るまで繰り返すというのは単調な作業ですし、子どもなのでできないのは面白くないですから、駄々をこねたりすることもあり、通っていた教室の先生には随分迷惑をかけていました。割と手のかかる子どもだったと思いますが、教室の先生に叱られたり、時には発破をかけられたり、なだめすかしていただいたからこそ、その大切さと面白さに気づけたと思います。良い先生に巡り会えたと、今でも感謝しています。
ヨーロッパに憧れてKLASへ進学したが
地元の小学校を卒業した後は、都内の中高一貫校へ進学しました。通常はそのまま付属の高校に進みますが、結果的にスイス公文学園高等部(KLAS)への進学を決めました。
当時、ヨーロッパに対して強い憧れがありました。特にイギリスに強く惹かれていました。小学生の頃、くもん出版の「シャーロック・ホームズ」の漫画を読んだのですが、同時期にテレビでもドラマが放映されており、そこで描かれていた19世紀末ロンドンの世界観に魅了されました。それをきっかけとしてイギリス関連の書籍を多く読むようになり、そこで出合ったのが、林望さんのエッセイ『イギリスはおいしい』でした。現地での体験を自分なりに咀嚼して、感じたこと・考えたことをわかりやすく、またユーモラスに描く文体には大きな影響を受けたと思います。そのようなことから、イギリスやヨーロッパに行ってみたいという思いが強くなっていきました。
ただ皮肉にも、当時英語には強い苦手意識がありました。英語を聞き取ることはまだできたのですが、文法が壊滅的で、英語の文章を読み、内容を理解することができませんでした。なので、なるべく英語に関わらないように生きていこうと思ったのを覚えています。ただ、「英語はできた方が絶対良い」という周りの大人、先生、友人の意見もあり、中学生ながらに悩んでいました。そのような時に公文の先生から紹介を受けたのがKLASでした。
「イギリスではなくスイスだけど、同じヨーロッパ圏だし、行けば楽しいだろう」という思いや、英語が使えるようになるカリキュラムにも魅力に感じ、あまり悩むことなく受験を決めました。両親は、「とりあえず受験して、受かったら考えよう」と言ってくれました。卒業後の進路がよく分からないことや学費などを考えると、自分が同じ立場で同じように言えるかは分かりませんが、否定せずに背中を押して貰ったことはありがたかったです。
そして無事に合格し、期待に胸を膨らませて旅立ちましたが、初日の第一印象は、「とんでもないところに来てしまった」でした。考えてみれば当然です。元々憧れていたのはロンドン、パリ、ベルリンなどの華やかな都市でした。KLASがあるスイス・レザンは人口4,000人未満の村で、山の中腹にあり麓の町まで登山列車で30分と、それとは正反対の環境でした。KLAS卒業生・保護者の間ではその環境を揶揄して「陸の孤島」と言うこともありますが、まさに孤島に流れ着いたような焦燥感を感じたのを今でも覚えています。
関連リンク
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後編のインタビューから -発想の転換によって見えてきた世界とは |