渡仏するもビザ延長が困難に
アクションを起こせば解決策は必ず見つかる
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「歌で生きていこう」と決めて大学を卒業した私は、外資系企業で派遣として働きながら歌い続けていました。2度目の転機は25歳のとき。知り合いに誘われ、アメリカのダンスミュージック・グループ“Chic(シック)”の元メンバー、ディーヴァ・グレイの通訳をフルタイムでする機会をいただいたことです。
シンガーとして経験豊富な彼女から、歌をはじめ、さまざまなことを教わりました。この経験が自信につながっただけでなく、彼女の友人でロバータ・フラック、マーカス・ミラーなどの世界的な一流アーティストが来日するとコンサートや楽屋に連れて行ってくれて。普通なら会えない一流の方々の演奏を間近で聞き、彼らと身近に接することで、自分の掲げた夢に少しずつ近づいている気がしました。
そんなあるとき、会員制クラブでの弾き語りのオファーをいただきました。最初は「弾き語りはやったことがないし……」と尻込みしていたのですが、「Yes」と言いなさい、とディーヴァから言われ、とりあえず「Yes」と言い、2週間後に迫った本番まで必死に練習し、なんとかこなしました。当時、そのクラブの専属シンガー/ピアニスト4人のうち私以外は経験豊富なネイティブの外国人、私はすぐクビになると思っていたのですが、結果的に1年以上続けることができて、これもうれしかったですね。
その後、新しい環境でチャレンジしたいと思うようになり、フランスに行くことに。ジャズの本場といえばニューヨークを連想すると思いますが、たくさんの日本人がすでに拠点にしているし、私は学生時代にせっかくフランス語を勉強したからということで、パリを選んだのです。1年間だけ、と思っていましたが、「もっとここで学びたい。まだチャレンジしたいことがたくさんある」と、結局今日までパリに住んでいます。
じつはその間、ビザの延長が難しくて、あきらめて帰国しようと思ったこともあります。するとパリの友人に「簡単にあきらめて帰るの?」といわれ、ハッとしました。それからどうやったらビザが取れるか必死で考え、行動しました。仕事を通じてご縁ができたフランス関係者の方々に連絡をとり、これまでの活動内容などを説明した書類を沢山提出した結果、無事にビザが発給されました。
ここから得た学びは「アクションを起こすことで何らかの解決策は必ず見つかる」ということ、「一人ではできないことは、周りに助けを求めることも大事」ということです。ビザ取得に限らず、ピンチのときにさまざまな方に助けられてきたのは、「何としてでも実現したい」というパッションが伝わったからかもしれません。感謝の気持ちでいっぱいです。