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Vol.059 2018.11.16

ジャズヴォーカリスト
古瀬里恵さん

<後編>

何ごとも続けることになる
その力が自信となって
チャレンジする勇気につながる

ジャズヴォーカリスト

古瀬 里恵 (ふるせ りえ)

熊本県生まれ。3歳より姉の影響でエレクトーンを習い、7歳でピアノに転向、進学で上京する18歳まで続ける。獨協大学外国語学部フランス語学科に在学中、ジャズヴォーカリストとして活動を開始。卒業後、来日シンガーの通訳をしながらジャズクラブなどで歌い続け、ダンスミュージック・グループ “Chic(シック)” の元メンバー、ディーヴァ・グレイに師事。2009年より渡仏し、パリを拠点にグローバルな活動を開始。2010年、ベトナム・ホーチミン市で行われた48 Hour Film Projectにて、自身の楽曲を提供した短編映画が最優秀音楽賞を受賞。現在は、熊本民謡をジャズにアレンジするなどオリジナリティあふれる音楽スタイルを確立。

パリを拠点に、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、中東とグローバルに活躍するジャズヴォーカリストの古瀬里恵さん。幼少のころから歌とピアノが大好きでしたが、公文式の英語が楽しくて、将来は得意の語学を活かした仕事を、と考えていたそうです。ところが大学2年のとき、ジャズクラブを訪れたことで歌への情熱が再燃。目標に向かい、さまざまな決断と行動を重ね、ピンチを乗り越え、夢をかなえました。じつはその後押しとなったのは、公文式教室での学びだったそう。その「学び」とはどんなものだったのか、夢を実現するために大切にしてきたことなども含めてうかがいました。

目次

渡仏するもビザ延長が困難に
アクションを起こせば解決策は必ず見つかる

古瀬里恵さん

「歌で生きていこう」と決めて大学を卒業した私は、外資系企業で派遣として働きながら歌い続けていました。2度目の転機は25歳のとき。知り合いに誘われ、アメリカのダンスミュージック・グループ“Chic(シック)”の元メンバー、ディーヴァ・グレイの通訳をフルタイムでする機会をいただいたことです。

シンガーとして経験豊富な彼女から、歌をはじめ、さまざまなことを教わりました。この経験が自信につながっただけでなく、彼女の友人でロバータ・フラック、マーカス・ミラーなどの世界的な一流アーティストが来日するとコンサートや楽屋に連れて行ってくれて。普通なら会えない一流の方々の演奏を間近で聞き、彼らと身近に接することで、自分の掲げた夢に少しずつ近づいている気がしました。

そんなあるとき、会員制クラブでの弾き語りのオファーをいただきました。最初は「弾き語りはやったことがないし……」と尻込みしていたのですが、「Yes」と言いなさい、とディーヴァから言われ、とりあえず「Yes」と言い、2週間後に迫った本番まで必死に練習し、なんとかこなしました。当時、そのクラブの専属シンガー/ピアニスト4人のうち私以外は経験豊富なネイティブの外国人、私はすぐクビになると思っていたのですが、結果的に1年以上続けることができて、これもうれしかったですね。

その後、新しい環境でチャレンジしたいと思うようになり、フランスに行くことに。ジャズの本場といえばニューヨークを連想すると思いますが、たくさんの日本人がすでに拠点にしているし、私は学生時代にせっかくフランス語を勉強したからということで、パリを選んだのです。1年間だけ、と思っていましたが、「もっとここで学びたい。まだチャレンジしたいことがたくさんある」と、結局今日までパリに住んでいます。

じつはその間、ビザの延長が難しくて、あきらめて帰国しようと思ったこともあります。するとパリの友人に「簡単にあきらめて帰るの?」といわれ、ハッとしました。それからどうやったらビザが取れるか必死で考え、行動しました。仕事を通じてご縁ができたフランス関係者の方々に連絡をとり、これまでの活動内容などを説明した書類を沢山提出した結果、無事にビザが発給されました。

ここから得た学びは「アクションを起こすことで何らかの解決策は必ず見つかる」ということ、「一人ではできないことは、周りに助けを求めることも大事」ということです。ビザ取得に限らず、ピンチのときにさまざまな方に助けられてきたのは、「何としてでも実現したい」というパッションが伝わったからかもしれません。感謝の気持ちでいっぱいです。

世界で活躍する古瀬さんの原動力とは?

原動力はすべて「憧れ」から
そこに近づくため、何をすべきかを考えて行動

古瀬里恵さん

パリに渡った年の12月、初めてシンガポールで歌いました。その前にプライベートで訪れて、「ステキだな。こんなところで歌いたいな」と思うホテルやジャズクラブをリサーチし、そこに自ら売り込みに行き、その結果、契約をいただけたのです。その後も順調に仕事が入ってきて、一つ一つこなし続けていったら、次第にクライアントからオファーが来るようになりました。

思えば私の原動力はすべて「憧れ」から始まっているのかもしれません。3歳でエレクトーンを始めたのも、「姉のように演奏したい」という憧れですし、公文式教室が続けられたのもとことん向き合ってくださる憧れの先生がいらしたから。そして「あんなふうにカッコよく歌いたい」と思い、ジャズクラブで歌い始めました。

自分もあんなふうになるにはどうしたらいいか―― 言葉を換えれば、目標を定めて、そこにたどり着くために何をすればいいのかを、まずリサーチすることから始めていました。そこで情報を得て、では自分はどうするのがいいか、どうしたいかを考え、決断し、行動に移してきました。ベトナムで知り合ったアメリカ人からは「“T・D・A”(=Think・Decide・Act)が大事」と言われたことがありますが、まさにそうしてきたんですね。

もうひとつ、モットーとしていることがあります。それは「オファーが来たら必ずYes ということ」。これはボーカルの先生から教えられました。「ダメだったらそのときに考えればいい。Yesということで何らかの扉が開かれる」と。そして、「挑戦したい、やってみたい」という意思と頑張る姿勢、情熱が伝われば、助けの手を差し伸べてくれる人が周囲に現れる可能性も。

振り返れば、通訳の仕事も弾き語りも、経験がないのにYesと答えていた私。今も新しいチャンスが巡ってきたら、恐れずにつかむようにしています。これまでに経験したことのない新たな挑戦であったとしても、困難な状況に陥っても「きっとできる」と自分を信じて、自分にそう言い聞かせ続けています。

古瀬さんから子どもたちへのメッセージ

五感を刺激する経験をたくさん積もう
それが夢をかなえる力の基礎になる

古瀬里恵さん

今後は、人がやらないような、自分にしか出来ない斬新なアイデアをどんどん実現していきたいですね。熊本民謡の「おてもやん」や「あんたがたどこさ」も、ジャズのコードを入れてグルーブをアレンジして演奏しています。この11月の日本公演では、フランスの楽曲をサンバ調にして、いろいろな和楽器を合わせて演奏します。

フランスで、私はずっと「自分のアイデンティティ」を問われてきましたが、渡仏10年、そして日仏交流160周年というタイミングで、ようやく自分のアイデンティティに絡めた作品を表現できるようになったと感じています。

根底にあるのはやはり、幼少期に聞いたコンサートや姉のピアノ、母が歌ってくれた民謡、熊本や家族旅行の風景、お祭り、自然に触れる機会など、たくさんの五感を刺激する経験があったからだと思います。幼少期の多感な時期に、絵画を見る、音楽を聞く、本を読む、異文化を体験するなど、五感を刺激するさまざまな経験は、後に活きるのではないでしょうか。大人になったとき、精神の豊かさにもつながると思います。

人生は毎日が選択の連続です。何を選ぶか決めるのは自分の直感が鍵になるわけですが、直感は経験でしか養えません。経験を積むとそれだけ直感が鋭く働くようになります。その意味でも、大人も子どももいろいろな経験をするといいと思います。

夢をかなえるには、好奇心をもち、踏み出す勇気も大切です。未知のこと、新しいことに一歩踏み出すのには勇気が要りますし、「自分はできる」という自信が必要。その自信をつけてくれたのが、私の場合は公文式教室でした。お子さまには、五感を刺激する体験とともに、「やり遂げた」「やればできる」という体験をたくさん積ませ、自信をもたせてあげて欲しいと思います。

前編を読む

関連リンク 古瀬 里恵オフィシャルサイト古瀬 里恵Twitter


古瀬里恵さん

前編のインタビューから

-自分のアイデンティティと向き合いながら活動する日々
-古瀬さんの原点となった公文式での学びとは?
-古瀬さんとジャズとの出会い

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