「知らない世界」に憧れ、通訳者を夢見て毎日英語を勉強
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私は両親をはじめ、親戚の多くが教員という教員一家に育ちました。だからなのか、自然と「教える」ことは好きになりましたが、じつは教員になるつもりはありませんでした。目指していたのは通訳者です。
子ども時代の私は好奇心の塊のような子で、知らないことを知りたい、やったことのないことをやってみたいと、水泳、ピアノ、吹奏楽、合唱、バスケットボールなど興味のあることは片っ端からやっていました。「知らない世界へ行ってみたい」と、海外にも憧れるようになりました。小学校6年生になったころ、中学で新たに習う英語も楽しみで「英語が上手になりたい。毎日英語を勉強しよう!」と決めました。
中学入学後は、「英語が上手になりたければ、とにかく毎日勉強しなさい」との先生の方針で、毎日1ページずつ、教科書の英語を音読しながらノートに書き写していました。ラジオの基礎英語も毎日聞いていました。そうして英語は得意教科となり、通訳者になろうと思い、高校時代には、国際会議通訳者だった方が開設された通訳塾にも通いました。
ところが進路については両親とは意見が合いませんでした。紆余曲折の末、大学は教育学部の中学校教員養成課程英語科へ進みました。教えることは好きでしたし、教員にならなくても何かにつながるだろうという気持ちもあったんです。一方で入学直後は、なかなかやる気が起きませんでした。
それが一変したのは、言語学のゼミでの恩師との出会いです。なぞなぞの論理や人間の言語知識に関する構造の話など、授業がとてもおもしろく、また言葉が好きだったこともあり、言語学が楽しくなりました。さらに学年が上がるにつれ、専門授業が増えていき、その課程で教材開発に目覚め、「中学の英語教師になろう」と思うようになりました。
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