Unlocking the potential within you ―― 学び続ける人のそばに

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Vol.057 2019.10.18

中部大学 副学長 国際センター長
辻本雅史先生

<後編>

くり返しによる「学びの身体化」
その学びは本物になる
学び続けて生涯自分を成長させよう

中部大学 副学長 国際センター長

辻本 雅史 (つじもと まさし)

1949年愛媛県生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程(教育史専攻)単位取得退学。光華女子大学、甲南女子大学教授を経て、京都大学教育学部助教授および教授、同大大学院教育学研究科教授を歴任。2012年早期退職後は京都大学名誉教授に。同年9月からは国立台湾大学日本語文学科教授に就任。2017年8月より現職。著書に『近世教育思想史の研究』(思文閣出版)、『教育を「江戸」から考える―学び・身体・メディア―』(日本放送出版協会)、『学びの復権』(角川書店、岩波現代文庫増補再刊)など多数。

儒学思想の視点から、現代の日本の教育課題を読み解く辻本雅史先生。江戸時代の教育は、今の学校教育とは異なり、「教える側」ではなく「学ぶ側」が主体で、学ぶ内容も一人ひとりの目的やレベルによって違っていて、それこそが学びの自然な姿だといいます。そんな江戸時代の学びの原理と公文式の学習スタイルには、多くの共通点があると指摘します。辻本先生の目には、現代の教育はどう映っているのか。教育改革が叫ばれる今、日本の教育に必要なことは何か、大人は子どもをどう導けばいいのか、歴史を学ぶ意義を踏まえながらお話いただきました。

目次

    「幸福感を高める教育」に必要なのは「身体」を通した体験

    辻本雅史教授 中部大学副学長

    私は「研究を深めたい」というより、「好き」だから、今でもずっと学び続けています。近年は、「知の伝達メディアの歴史研究」をテーマにしています。これは、私の息子が学校に行きたがらないことがきっかけでした。私が子どもの頃は学校で学ぶことがおもしろかったのに、なぜ息子はいやがるのか? それを考えたとき、「教育は知を与えるメディア」であり、学校教育はメディアのひとつだけれど、たとえばテレビなど、他におもしろいメディアがあるから「学校がおもしろくない」となるのだと気づきました。

    「知を伝えるメディア」が変われば、知のあり方、ものの考え方が大きく変わってきます。同じストーリーでも、声で伝えるか、絵で伝えるか、文字で伝えるかで、「知」の中身やその質が変わってきます。メディアが「知」のあり方を決めるのです。今の学校教育は商業的なメディアに負けているのかもしれませんね。

    これからは「AIの時代」となるのは間違いなく、AIの浸透で消える職業がたくさん出てくると言われています。学校教育も今までの延長線上では、たち行かなくなるでしょう。AI時代に必要な教育とは何か。それを考えたとき、我々は否応なしに人間とは何か、いわば人間の本質を認識させられます。

    「人間の本質」とは、ひとつは感性です。人とつながり、人とともに悲しんだり喜んだりする力です。「何が問題なのか」を見つけることも、生身の人間でないとできません。問題を設定してどう展開していくか。問題発見能力をつけることが教育の一番大きな使命かもしれません。
    もうひとつ必要だと思うのは、「幸福感を高める」教育です。何を幸せと感じるかは、一人ひとり違いますが、一人ひとりが「自分の人生は幸せだった」と思えるような生き方ができるような教育が大切でしょう。

    最近聞いた話ですが、「人生で一番幸せだと思うときは」という質問に対し、もっとも多かったのは、富や学歴ではなく「自分の人生を自分で決められること」だったそうです。人に押しつけられずに自分で決められるようになるには、人間しか持っていない感性を磨き、生身の体でいろんな体験をすることが大切です。身体を通らなければ、自分のものにならず、心の底に響きません。響いたものが自分の人生の拠り所になるのです。

    私は、「身体を通して身につける」ことを大事にしていた「近代以前の営み」に、ヒントがあると思っています。

    私の夢と社会への恩返し

    大学は知の拠点、文化の発信源
    じっくり学び直せる場にしたい

    辻本雅史教授 中部大学副学長

    私は学校教育はできるだけ小さくして、生涯学ぶことを前提とした「学び方」を教えるのがいいと思っています。今、大学は18歳の取り合いをしているだけです。本当に勉強したくて通っている人もいますが、そうではない人も多い。むしろ社会に出てから、本当に学びたいことが見つかることがあります。そんなとき、気軽に学ぶことができる。それが当たり前になるといいと思いますし、そこに大学は門戸を開くべきだと思います。

    OECDの調査(「OECD Stat Extracts (2012)」)では、25歳以上の成人が大学に籍を置いているのは、各国平均で20%に達していますが、日本は約2%で、ダントツの最下位です。逆にいえば日本にはこれからの伸びしろがあるともいえます。
    私は人生の中で大学に3回入学するのがいいと言っています。まずは18歳、次に社会に出て学びたいことが見つかったとき、そして定年が見えてきたとき、です。3回目は生き直しのための学び直しです。大学は知の拠点で、文化の発信源ですから、学びたい人のために腰を据えてじっくり学び直せる場にしたい。それが大学改革にかかわっている現在の私の夢です。

    夢はもうひとつあります。「子育て実践学」を立ち上げて若者に教えることです。私は幼児教育の研究助成を行うある公益財団法人に関わっており、幼児教育・家庭教育に関するシンポジウムなども企画・実行しています。

    この活動を通して「親を育てる教育」を開発したくて、研究会も立ち上げました。幼児教育の専門家だけでなく、哲学者や歴史学者、心理学者、法学者などにも関わってもらい、あらゆる学問を総合した「子育て実践学」として、カリキュラムやテキストをつくり、学生全員にできれば必修にして、将来的には学会も立ち上げることができればいいなと考えています。この仕事は、私なりの社会への恩返しです。

    子育てのあるべき姿とは

    子どもは「社会で育てるのが当たり前」と気づき
    子どもたちにイキイキ学び続ける姿を見せよう

    辻本雅史教授 中部大学副学長

    幼児教育、家庭教育の問題は、子どもを研究しただけでは何も解決しません。多くの問題は親に起因しています。もっと言えば、さまざまな問題は、親を追い込んでいる社会の問題です。人類の長い歴史の中で、「親だけが子育てしていたこと」は、一度もありません。人類は社会で子育てをするように進化してきました。それは歴史的にいって間違いありません。いろんな人がよってたかって子どもを育てていたのです。
    いいかえれば「親が子どもを育てるのが当然」といわれている現代が異常なのです。親が、しかも母親が一人で育てるのではなく、「社会で育てるのが当たり前」なのだと多くの人に気づいてほしいですし、いま子育て中の人には、「周囲に頼ってください」と伝えたいですね。

    保護者の方には、子どもに言葉で「ああしなさい」といっても通じないということ、言葉で伝えるのではなく、自身が真剣に毎日生きる姿を見せること、好奇心をもって一緒に学ぶこと――そうしたことが大事だとお伝えしたいと思います。親自身がイキイキ学んでいれば、子どもは「学ぶことは楽しいんだ」と思います。儒学者である荻生徂徠は、「言葉では子どもは変わらない 親の生き方で子どもは変わる」といっています。

    じつは私は学生時代に結婚して子どもが生まれたため、当分の間は、私が主に子どもをみていて、PTAの会長も複数回務めました。こうした自分の経験からも、子どもを変えたいと思えば親が変わらなくてはならない、と実感しています。

    学びとは、学んだ後に自分が「少し成長したな」と思えるもの、新しい自分を見つけられるワクワクするものです。私も益軒先生の『和俗童子訓』を読んで、いかに「身体化」していくことが大切か、そのメッセージを受け取り、それが「人類の学びの文化」だと気づいたときは、ブレークスルーした気分でした。生きてて良かったと思いましたね。


    和俗童子訓 貝原益軒 【公文教育研究会所蔵】

    人間は、あらゆる生きものの中で、学び続けることができる唯一の生きものです。学び続けることができるというのは、自分を成長させることが生涯できるということ。ぜひ、大人も子どもも学び続けてください。


    辻本雅史教授 中部大学副学長  

    後編のインタビューから

    -「江戸時代の学び」から今の教育を読み解くと・・・
    -くり返しで、その「学び」は身体化する
    -教師という仕事への道を決めた恩師の一言

     

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