中国で新聞社のインターンを経験したことが転機に
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スイス公文学園を卒業後し、2005年にフェリス女学院大学に入学しました。ちょうど日本の首相の靖国神社参拝や歴史教科書問題で、中国の反日デモが激化していたころです。中国の人たちが日の丸を燃やしたり、日系スーパーを襲撃したりするデモの様子をニュース番組で見ていて、違和感を覚えました。戦争を経験している世代ならともかく、なぜ若い人たちがこんなにも怒りで暴徒化するのだろうか、と。それが中国に関心を持つきっかけでした。
実際に中国の人と話をしてみれば何か気付きがあるのではと思い、中国語を学び始めました。大学3年時には北京の清華大学に交換留学生として1年間留学しました。現地で改めてわかったのは、一人の中国人を見て、「中国人はこう」とは言えないということです。当たり前のことですが、テレビに映っている中国人がすべてではないし、日本の漫画が好きと言いながら反日デモをする人もいる。人の感情は一辺倒ではないと学びました。
新聞記者を目指すきっかけとなったのも留学中です。夏休みの約2か月間、北京にある日本の新聞社の総局でインターンをしたことが転機でした。当時は、中国の研究を続けたくて大学院に進むつもりでした。でも、夏休みに旅行したりや語学学校に通ったりする費用が足りず、勉強を兼ねて新聞社でインターンするのもいいかな、と在中の会社に片っ端から電話をかけました。唯一採用してくれたのがその新聞社でした。
北京オリンピックの前年だったので、オリンピックを取材する記者のためのアポ取りや通訳をしました。間近で記者の姿を見ていて、「現場に行くからこそ見える中国があるのではないか」と思うようになったのです。中国のメディアだと報道できなくても、外国メディアであれば報道できることも知り、いろんな側面を取材できるのではと、記者という仕事に興味を持つようになりました。
帰国後すぐに就職活動をはじめましたが、新聞各社をはじめ、他のメディアも全滅。唯一合格したのが朝日新聞社でした。縁があったのでしょうね。私の人生は、出会いの中で先に進んでいる気がします。