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Vol.025 2015.10.23

グランド ハイアット 東京 コンシェルジュ
阿部佳さん

<前編>

どんなときでも「楽しむ力」
持てばはきっと叶えられる

グランド ハイアット 東京 コンシェルジュ

阿部 佳 (あべ けい)

東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、一般企業勤務を経て、1992年にヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテルにコンシェルジュとして入社。1997年に世界の一流コンシェルジュたちの組織「レ・クレドール」国際正会員。2003年にグランド ハイアット 東京に入社して以来、チーフコンシェルジュとして活躍。著書に『わたしはコンシェルジュ』(講談社)、『お客様の“気持ち”を読みとく仕事コンシェルジュ』(秀和システム)。

お客さまの気持ちに寄り添って「本当の望み」を提供する「コンシェルジュ」。この職業がまだ一般的ではなかった20年以上前からホテルコンシェルジュとして活躍されている阿部佳さんは、世界の一流コンシェルジュたちの組織「レ・クレドール」で、日本人として現役唯一の名誉会員に認定されています。限られた時間の中で、見事にお客さまの真意をくみとることから、多くのファンをもつ阿部さん。その手腕の背後には、日々の生活の中で常に学ぼうとする意欲、何事も楽しもうという姿勢がありました。

目次

自分で判断し、行動する大切さを教えてくれた両親

コンシェルジュ 阿部佳さん

お客さまからさまざまな相談を受け、いかなるご希望でも叶えられるよう、お手伝いするのが私たちコンシェルジュの仕事です。「ホスピタリティのプロ」ともいえますが、では、小さいころから誰かの役に立ちたいとか、もてなしたいと思っていたかというと、それはどうだったでしょうか。

子ども時代のわたしは、特に世話好きでもなかったし、さほど人のことを気にかけるタイプでもなかったと思います。でもなぜか、グループで何かやるとなると、取りまとめをするような係になっていました。任せればやってくれると思われていたのかもしれません。子どものころの役回りはいつまでも続くもので、いまだに何かあると幹事をやっています(笑)。

得意科目は国語でした。両親は本には寛容で、折に触れて本を買ってくれていて、小さい時から本をよく読んでいました。小学校入学後は学校の図書館でよく本を借りていましたね。小学校の担任は、本を読むことに価値を置き、作文をたくさん書かせる先生でした。その先生がわたしの作文をよく評価してくれ、それが自信につながったのです。子どもの自信というのは、大人の言葉によってつくられていきますから、このときの影響は大きかったと思います。

また、両親は二人とも、一人っ子の私を「独立できるように」、つまり「自分で考え、行動ができる人に育てたい」と考えていたようです。幼い頃から、親に何か質問をすると、「あなたはどう思う?」と常に問いかけられ、自分で考えるように言われていました。

ヨーロッパで出会ったコンシェルジュという“不思議な”人たち

中1のときのヨーロッパ旅行で出会った
コンシェルジュという“不思議な”人たち

 コンシェルジュ 阿部佳さん本好きだったわたしは、小2の頃、チャールズ・ディケンズの『オリバー・ツイスト』を読んで他の国々に興味を抱くようになりました。イギリスの生活が鮮やかに頭の中に浮かんできたのです。そして「英語が話せるともっと楽しくなる」と実感したのは、中1のとき。父のヨーロッパ出張に家族で同行したことがきっかけです。現地で父は、何か用があると、私に言いつけました。でも、もちろん私は英語をしゃべれないし、相手の言うこともわからない。「こんなに不便でわからないのはつまらない!楽しむには英語が必要なんだ」と感じました。

このときの旅行では、「海外には私の知らないことがこんなにあるんだ!」と驚きの連続。そのひとつがコンシェルジュでした。とくに驚いたのは、私たちの思いをピタリと当ててくることです。「ここはどう?」と紹介されたレストランが、まさにその日の気分。こちらは毎日気分が変わるのに、都度、当ててくる。「人の気持ちを当てるなんて、なんて不思議な人たちだろう。コンシェルジュっておもしろいな」と思いました。

英語の必要性を感じていた父の考えもあって、高校から大学の夏休みは毎年、イギリスへ短期留学をしていました。いろいろな国の人が来ていて楽しいし、日本とまったく違う国での生活も興味深くて、ホームシックにかかったことはまったくなかったですね。大学での専攻は教育学でした。教育学といっても教員養成ではなく、大学の教授は「人間雑学」の学問だと言っていました。「人がどう考え、どう動くのか」など、「人間」に興味があったわたしにはぴったりでした。

異業種でキャリアを重ねた十数年

新卒でのホテルへの就職は断念
異業種でキャリアを重ねた十数年

 

コンシェルジュ 阿部佳さんやがて就職活動の時期になり、コンシェルジュの存在を思い出しました。当時の日本にはその仕事がないのはわかっていましたが、ホテルで仕事をしている大学の先輩をたずねることにしました。そもそも私のコンシェルジュのイメージは、ヨーロッパで出会った年配の“おじいさんコンシェルジュ”の方々。この職業は若くしてなれるものではないと思っていました。ホテルでキャリアを積んで、そのうちできれば……と考えていたのです。

いくつかのホテルで内定をいただいたものの、ある先輩から「コンシェルジュを目指すならずっとホテル業界にいるよりも、他のことをして社会経験を積んだ方がよいのでは?」と諭されました。「わたしのような変わり種を採用しても、結局ホテルでは使いようがないのかな……」と、体よく断られたのだと思いました。

そこで、無理にホテル業界に入っても結局合わないだろうと気持ちを切り替え、当時としては珍しく仕事における男女差がなかったパルコへ就職することにしました。経営陣と接する機会が多い部署に配属され、多くのことを学びました。「いかに人を集めるか、何にひかれて人は動くのか」という視点も求められたので、大学時代の学びも活き、仕事はハードでもとにかく楽しかった。

その後、10年ほど教育関係の仕事に携わりました。そんなあるとき、通勤電車でヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテルのオープン広告を偶然目にして、「ここはイギリス資本のホテルだからコンシェルジュがあるかも?」と、ふと思ったのです。そこで、「まだ何か求人はありますか?」と電話したところ、「空いているのはコンシェルジュくらいです」との返事。「わたしはそれがやりたいのです!」と話は続いたのですが、ホテルとしては当然オープン時にいてくれないと困るわけです。でも、結局わたしはそれまでにそのとき勤めていた仕事を辞めることができず、一旦は断念しました。

ただ、一度心が揺れたことで、仕事を変えてもいいのかなと思うようになり、仕事を後輩に引き継ぐ準備を始めました。するとしばらくして、幸運なことに、ヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテルの方から、「コンシェルジュに欠員が出たので、来ませんか?」と電話がかかってきました。それで、とうとうコンシェルジュになることになったのです。


コンシェルジュ 阿部佳さん 

後編のインタビューから

-日々の小さなことを見落とさず、常に学び続ける
-一番難しい質問は「おいしいレストランを紹介して」
-阿部さんが抱く今後の夢は?

 

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