自分で判断し、行動する大切さを教えてくれた両親

お客さまからさまざまな相談を受け、いかなるご希望でも叶えられるよう、お手伝いするのが私たちコンシェルジュの仕事です。「ホスピタリティのプロ」ともいえますが、では、小さいころから誰かの役に立ちたいとか、もてなしたいと思っていたかというと、それはどうだったでしょうか。
子ども時代のわたしは、特に世話好きでもなかったし、さほど人のことを気にかけるタイプでもなかったと思います。でもなぜか、グループで何かやるとなると、取りまとめをするような係になっていました。任せればやってくれると思われていたのかもしれません。子どものころの役回りはいつまでも続くもので、いまだに何かあると幹事をやっています(笑)。
得意科目は国語でした。両親は本には寛容で、折に触れて本を買ってくれていて、小さい時から本をよく読んでいました。小学校入学後は学校の図書館でよく本を借りていましたね。小学校の担任は、本を読むことに価値を置き、作文をたくさん書かせる先生でした。その先生がわたしの作文をよく評価してくれ、それが自信につながったのです。子どもの自信というのは、大人の言葉によってつくられていきますから、このときの影響は大きかったと思います。
また、両親は二人とも、一人っ子の私を「独立できるように」、つまり「自分で考え、行動ができる人に育てたい」と考えていたようです。幼い頃から、親に何か質問をすると、「あなたはどう思う?」と常に問いかけられ、自分で考えるように言われていました。
中1のときのヨーロッパ旅行で出会った
コンシェルジュという“不思議な”人たち

このときの旅行では、「海外には私の知らないことがこんなにあるんだ!」と驚きの連続。そのひとつがコンシェルジュでした。とくに驚いたのは、私たちの思いをピタリと当ててくることです。「ここはどう?」と紹介されたレストランが、まさにその日の気分。こちらは毎日気分が変わるのに、都度、当ててくる。「人の気持ちを当てるなんて、なんて不思議な人たちだろう。コンシェルジュっておもしろいな」と思いました。
英語の必要性を感じていた父の考えもあって、高校から大学の夏休みは毎年、イギリスへ短期留学をしていました。いろいろな国の人が来ていて楽しいし、日本とまったく違う国での生活も興味深くて、ホームシックにかかったことはまったくなかったですね。大学での専攻は教育学でした。教育学といっても教員養成ではなく、大学の教授は「人間雑学」の学問だと言っていました。「人がどう考え、どう動くのか」など、「人間」に興味があったわたしにはぴったりでした。
新卒でのホテルへの就職は断念
異業種でキャリアを重ねた十数年
やがて就職活動の時期になり、コンシェルジュの存在を思い出しました。当時の日本にはその仕事がないのはわかっていましたが、ホテルで仕事をしている大学の先輩をたずねることにしました。そもそも私のコンシェルジュのイメージは、ヨーロッパで出会った年配の“おじいさんコンシェルジュ”の方々。この職業は若くしてなれるものではないと思っていました。ホテルでキャリアを積んで、そのうちできれば……と考えていたのです。
いくつかのホテルで内定をいただいたものの、ある先輩から「コンシェルジュを目指すならずっとホテル業界にいるよりも、他のことをして社会経験を積んだ方がよいのでは?」と諭されました。「わたしのような変わり種を採用しても、結局ホテルでは使いようがないのかな……」と、体よく断られたのだと思いました。
そこで、無理にホテル業界に入っても結局合わないだろうと気持ちを切り替え、当時としては珍しく仕事における男女差がなかったパルコへ就職することにしました。経営陣と接する機会が多い部署に配属され、多くのことを学びました。「いかに人を集めるか、何にひかれて人は動くのか」という視点も求められたので、大学時代の学びも活き、仕事はハードでもとにかく楽しかった。
その後、10年ほど教育関係の仕事に携わりました。そんなあるとき、通勤電車でヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテルのオープン広告を偶然目にして、「ここはイギリス資本のホテルだからコンシェルジュがあるかも?」と、ふと思ったのです。そこで、「まだ何か求人はありますか?」と電話したところ、「空いているのはコンシェルジュくらいです」との返事。「わたしはそれがやりたいのです!」と話は続いたのですが、ホテルとしては当然オープン時にいてくれないと困るわけです。でも、結局わたしはそれまでにそのとき勤めていた仕事を辞めることができず、一旦は断念しました。
ただ、一度心が揺れたことで、仕事を変えてもいいのかなと思うようになり、仕事を後輩に引き継ぐ準備を始めました。するとしばらくして、幸運なことに、ヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテルの方から、「コンシェルジュに欠員が出たので、来ませんか?」と電話がかかってきました。それで、とうとうコンシェルジュになることになったのです。
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