知識を生み出していく興奮と
人を育てる喜びを味わえる仕事
私が学生たちに教えている専門領域は、サービス・マネジメント、マーケティング、消費者行動論です。「サービス・マネジメント」とは、経営学の中でも比較的新しい分野です。これまでの企業経営では、形のある「モノ」の経営と、形のない「サービス」の経営を分けて考えるのが一般的でしたが、モノとサービスを分けずに包括的にとらえて経営論理を明らかにしようとする考え方です。
実際、近年は製造業がサービス業化する、また、サービス業が製造業化する、という現象が進んでいます。例えば、製品としてのiPhoneとサービスとしてのiPhoneアプリを組み合わせて展開するアップルや、生産管理から店舗運営までを一体的に行うユニクロなど、いまや、モノとサービスを分けて考えることはできなくなりつつあります。こうした企業の事例を分析し、イノベーションやグローバリゼーションの機会や課題を理解し、その背後にある経営論理を明らかにすることで、企業や国家の成長戦略に寄与しようというのが、私が現在行っている研究活動です。
研究活動とは知識を生み出していく活動にほかなりません。たとえ一人の研究者が生み出す新たな知見が世界に与えるインパクトは小さくても、それらが蓄積されることによって、人類の英知の前進に貢献することを目指しています。そこに貢献しているということ、そして世界中で生み出される新しい知識に常に触れながら、
一方で、学生を教えるという教育活動もとてもおもしろい。学生といっても、
ビジネスマンのおじたちが教えてくれた
「世界への扉」
私は、京都市内中心部にある呉服屋に生まれました。男三兄弟の長男だったので、家業を継ぐことを期待されて育ちました。育った地域は、京都のなかでもとりわけ商店や寺社が多く、同級生のほとんどはそうした家業の子どもで、何代もそこに住んでいるような家庭ばかりでした。
また、「京都でよい学校へ行き、京都でよい仕事につき、
ただ、当時は「本当にこれが世界なのか」という思いが常にありました。その中で大きな影響を受けたのが、ビジネスマンだった2人のおじです。私の家族や親戚はほとんどが自営業でしたので、この2人が私にとっては唯一の「異なる世界の人」でした。
1人は母の兄。大学の体育会ラグビー部で活躍した後、商社に勤め、海外を飛び回って仕事をしていました。ただ残念なことに、若くして病気で亡くなってしまったので、私にははっきりした記憶はありません。でもお墓参りの際など親戚が集まる場では必ず彼の話題で盛り上がり、そこで聞く話から「別の世界があるんだ。
もう1人は父の弟で、メーカーに勤務していました。そのおじが、私の4歳か5歳の誕生日に、絵本『ABCの本』(安野光雅著/福音館書店)をプレゼントしてくれたのです。その本を開くと、左ページにAやBといったアルファベットの一文字があり、右ページにそのアルファベットが頭文字にある言葉の絵が描いてあります。「次に会うまでに全部覚えておけよ」とそのおじに言われたことを本気にして、ずっとその本を眺めていた記憶があります。今思うと、その頃、これが外の世界につながる唯一の手掛かりだと思っていたのかもしれませんね。
点と点がつながるように歩んだ大学時代
点と点をつないでいくと、1つの絵になる「点つなぎ」を、小さい頃にやった覚えがある方も多いと思います。アップルの創業者、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチにも、“connect the dots (=点をつなぐ)”の話があります。一見バラバラなようでも、あとで振り返ってみると点と点はつながっている、という内容ですが、私のこれまでの人生もまさにその通りだと感じています。
たとえば大学受験。高校2年のときに入試改革があり、それまでは国立大学は1校しか受験できなかったのが、2校受けられるようになりました。おじの影響で、商社で働くことが世界に開かれた唯一の扉だと考えていた私は、経済学と経営学を学ぶために、「旧三商大」といわれたうちの2校、一橋大学と神戸大学を受験しました。幸い合格し、迷わず一橋大学に進みました。家族や地元の人たちからは、まったく理解されませんでしたが(笑)。
そして入学した年に、
さらに当時の一橋大学は、海外の経営大学院で博士号を取得した日本人の第一世代ともいえる、野中郁次郎先生や竹内弘高先生らが日本に戻ってきていた時期。当時はまだ珍しかった、ケース・メソッド(学生間のディスカッションを中心に進行する学習形式)の授業を受けることができました。
そして大学3年のとき、競争戦略論や国際マーケティング論を専攻する竹内弘高先生のゼミ
留学先のペンシルバニア大学では、キャンパス内の留学生寮で暮らしました。4人1部屋で、ルームメイトはインド人、フランス人、そしてスペインとドイツのハーフの学生。彼らはとても個性的でした。そして同じ世代なのに、自分とは比べものにならないほど、溢れんばかりの知識や教養をもっている。そんな彼らが寝る間も惜しんで勉強をしていたのです。
1年の留学を終えて帰国してからも、彼らが机に向かう姿が頭から離れませんでした。自分よりもすごい人たちが、今この瞬間も地球のどこかで学び続けている。それが気になって仕方がない。留学を経て、「常に上には上がある」ことが、自分の考え方の基礎になりました。
関連リンク
一橋大学大学院 国際企業戦略研究科