意見を言いやすい「ディベート」という指導法
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大学では経営学部に入ったのですが、とくに経営学を学びたかったわけではありません。「英語でディベートができる」ことだけを考えて、社会科学系の学部をいくつか受けた結果でした。入学式の翌日にはESSに入り、英語漬けの大学生活が始まりました。母は近所の方から「お宅のお風呂から英語が聞こえる」、「茂くんとすれ違ったら英語でブツブツつぶやいていた」などと言われたそうです。ただ、私は「英語が好き」なのではなく、「英語でディベートがしたい」ために英語を勉強していました。
入部したESSは部員250人の大所帯でしたが、その中でディベートをやろうという人はごく少数。社会人の先輩が来て講評してくれることはありましたが、基本的には上級生が下級生を教えるスタイル。私は仲間をつくって「日本一になるんだ!」と計画を立てて勉強し、実際に日本一になりました。それが私の唯一の成功体験です。
そもそもディベートとは、「1つの論題について、2チームの話し手が肯定する立場と否定する立場に分かれて、それぞれの議論の優位性を聞き手に理解してもらうことを意図した上で、証拠資料に基づいて議論を進めるコミュニケーション形態」です。中高生・大学生を対象とした大会では、審判による投票によって勝ち負けが判定されます。スポーツの試合に似ています。
ディベートの目的は「相手を言い負かすこと」と誤解されがちですが、じつはすぐれたコミュニケーション教育の手法だと言えると思います。ディベートでは、客観的な資料をもとに論理的に考え、冷静に自分の意見を述べることが必要とされるからです。ディベートを通じて、相手の立場に立って考えることができるようになったり、自分が当たり前だと思っていることに対して「そうじゃないかもしれない」と疑問をもつ習慣がついたりします。つまり、「みんなが言っているから正しいわけではない」ということを理解することができるのです。
教師はよく、中高生に「自分の意見を言いなさい」と言いますが、思春期の子どもたちは周囲の目が気になり、自分の意見を言いにくいものです。「あなたはどう思う?」と聞かれて、個人としての意見をまとめて発言するのは気が重いでしょうが、「イエス」か「ノー」かどちらかの立場が割り当てられて、あくまでもその立場から議論をすればよいとなれば、気持ち的に楽なはずです。