英語に関する仕事で多忙な今
幼少時代はおとなしい子だった!?
現在私が行っている活動は大きく分けて4つあります。1つめは大学における活動。グローバル教育センター長として、立教大学の教育内容及び学習環境のグローバル化を進めています。経営学部においてはBBL(バイリンガル・ビジネスリーダー・プログラム)の主査を務めています。BBLは英語教育と経営教育を融合したプログラムで、留学生とともに英語で経営学を学べるレベルの英語力を身につけます。センター長や主査としての仕事以外にも授業やゼミ(企業のコミュニケーション戦略)も担当しています。
2つめは、文部科学省や中央教育審議会など各種教育団体での活動です。現状の課題把握、解決策の議論、教育施策の検討などを行っています。英語教育に関する内容が主ですが、教育全般についても議論します。
3つめは、中学や高校などの教育現場を視察し、フィードバックすること。授業を見せていただいてアドバイスをしたり、中学生や高校生に講演したりしています。模擬授業をすることもありますし、小学校の先生に話し合い活動についてコメントすることもあります。
そして4つめが、Eテレで放映されている「おとなの基礎英語」の講師など、メディアに関わる活動です。
母によると、小さいころの私はとてもおとなしくて、人前に出ることも苦手だったそうです。でも幼稚園時代、園児代表で卒園児へ送辞を読むなど、幼稚園の先生にポテンシャルを見出してもらいました。両親はとくに教育熱心というわけではありませんでした。国立大学附属の小学校を受験することをすすめてくれたのも、幼稚園の先生でした。
とにかく声に出す中学時代の英語の授業
高校に入って完全に挫折!?
国立の小学校に進んだものの、低学年時代は落ち着きのない生徒だったようで、母が学校から呼び出されることもありました。ただ、6年生の時には全校の学級委員会の副委員長になって朝礼で話をしたり、中学・高校で陸上部のキャプテンを務めたりと、組織をまとめたり、人前に立って話すことをしていましたね。もちろん自分が進んで務めるのではなく、周囲に推されての役回りでした。
中学時代の英語の授業に関して言えば、「パターンプラクティス」という形式の授業が印象に残っています。パターンプラクティスとは、たとえば先生が、オレンジがいくつか描かれた絵を見せながら”I like oranges.”と言い、次の生徒にリンゴがいくつか書かれた絵を見せると、その生徒は”I like apples.”と言う。次に先生が”not”と言うと、次の生徒は”I don’t like apples.”と言う。その次に少年の絵を見せると、次の生徒は”He doesn’t like apples.”と言う、といった流れで、次々置き換えてくり返し声に出すのです。授業はすべて英語。それを3年間受けました。とにかく英語を声にして出す。それで英語で話すことへの抵抗感はなくなりましたね。ただ、試験での出来は悪く、成績はいつも下位でした。
高校生になったのを機にまじめに勉強しようと、教科書に出てくるわからない単語の意味を調べることにしたんです。しかし、とても難しい教科書でレッスン1だけでわからない単語が68個もあり、単語調べはレッスン2で挫折……。いつの日からか先生には当てられなくなりましたね。というのも、私を当てると時間がかかって授業が進まなかったからです(苦笑)。
「英語でディベートができる大学」をめざし猛勉強
そんな私が英語に興味をもつようになったのは、高校3年の夏休みのことでした。たまたま訪ねた英語学校のイベントで、大学生が英語でディベートしているのを見たんです。テーマは日米安保条約に関して。内容はよくわからなかったものの、「これならやってみたい!」と思ったのです。アカデミックな雰囲気にひかれたというか、同年代の学生が日本語でも言えないようなことを英語で意見していることに、かっこよさを感じたというか。それまで私にとって、英語というのは「暗記するもの」でしたが、「意見を交換するために使えるものなんだ」と気づきました。
そこからです。「この大学生のように大学でESSに入り、英語のディベートで日本一になる!」と、突き進んだのは。人生で初めて目標を立てて努力する、ということをしました。このとき、現実の自分と目指す状態とのギャップに気づき、その日から猛勉強を始めたのです。とはいえ「大学に受かるため」という意識はまったくなく、「英語がうまくなりたい」一心でしたので、英語以外の教科はほとんど勉強しませんでした。入試の数日前も映画館へ行き、洋画を観ていたほどですから。
どのように勉強したかというと、ラジオ講座を聴いて何度も音読したり、イソップ物語などやさしい英文をたくさん読んで英語で感想を書いたり、英字新聞を読んで社説を英語で要約したり。英語を聞いて書き留める「ディクテーション」という演習もしましたね。そのうち、日本語に訳さなくてもわかる、という感覚が掴めてきました。
18歳の時点で、「訳さずに理解することができる」のを実感できたことは、とても良かったと思います。今、文部科学省は英語を英語で教えたり、英語でスピーチやディベートをさせたりすることを奨めていますが、私には実体験があるので、今の高校生もできないことはないと思っています。
関連リンク 立教大学 グローバル教育センター 立教大学 経営学部
後編のインタビューから -自分の意見を言いやすい「ディベート」という指導法 |