子どもの成長のカギはどこにあるのか、それを解明するのが発達心理学

大学院に入って心理学を学びなおすことにした私は、子どもの思考や認識がどう発達していくかを研究することにしました。たとえば、2歳くらいであれば、色の名前ははっきりわからないけれど、大人にとっては何でもない色の名前がどうして幼児には難しいのか、といった研究です。
当時、子どもは大人と違うのだから、色の名前がわからないのは当たり前、という考え方が支配的でした。しかし私は、もちろん子どもの発達には独自の特徴があるけれども、それは発達の過程でいろいろな条件に促されてしだいに変わっていくものだと考えたのです。
実は、私が心理学を学び始めたころは、「発達心理学」という分野はありませんでした。当時は、児童期や青年期というように年齢で区切り、発達というのは青年期までで終わり、それ以降は安定期になるという考えでした。
「人間はいくつになっても変化・成長し続けていくもの」との考えが出てきて、発達心理学という言葉がしきりに使われるようになったのは、ここ30~40年くらいのことでしょう。
「発達心理学」を英語で表すと、developmental psychologyです。西洋文化の中では「遺伝」や「素質」が子どものなかにあらかじめ固定されていて、加齢にともない表に出てくる過程がdevelopmentなのだと考えられていました。しかし日本や中国など東洋では、「子どもの成長は教育の力や文化によるものであり、能力や素質よりも努力が大事」という儒教主義の考え方が昔から強くありました。
西洋的な概念で遺伝や素質を強調しすぎるのも偏りですが、日本や中国でのように、「子どもがもっている能力や素質とは別に、頑張りさえすれば何とでもなる」という見方にも、これはこれで別の偏りがあります。
両方のバランスの上に正しい解決の処方があると思いますし、これらの考えをうまく重ね合わせることで、「子どもの成長のカギは本当はどこにあるのか」が、わかるのではないでしょうか。それを解明していこうというのが、発達心理学ともいえます。
子どもにとって生後早期の環境条件はとても大事

西洋的概念では、精神障害なども“生まれつき”で説明されていましたが、それでは宿命論に傾いてしまいます。もちろん遺伝的素質は無視できませんが、昔考えられていたほど遺伝性は強くないことがわかってきています。
たとえば統合失調症は、かつては「90%以上遺伝による」とされてきましたが、今では「50%くらい」と考えられるようになってきています。伝統的西欧医学のなかで作られた固定観念が発達心理学の研究によって変わってきたのです。
病気や障害をもって生まれたとしても、親身な養育者が早いうちから一生懸命働きかけることで、子どもの発達はずいぶん違ってくるということを、私はこれまでの事例研究で実感しています。当たり前のことですが、子どもにとって一番重要な発達環境というのは生後早期の親子関係ですから、それを変えることで、子どもの成長も変わってきます。子どもに対する親の無関心から働きかけが乏しくなると、成長が歪められてしまうことが多いのもよくわかりました。
はじめはほんのわずかな違いでも、方向を誤ったまま先に行けば差は開くばかりです。早い時期の対人的環境条件は非常に重要です。そうしたことを解明してきたのが発達心理学であり、その意味では発達心理学は、少しずつだけれど着実に成果を上げているのだと思いま す。
自分にとっての喜びでなければ、本当の意味で伸びない
先が見えない今の時代、子どもが自分らしさを発揮して生きていくためにはどうしたらいいかは、すべての親が考えなくてはならない深刻な課題です。「いい大学、いい企業を、という旧来の基準を頼りにし、そのために偏差値競争をさせる」親と、「どういう時代であっても 、子どもの自立性、向上したいという意欲を高めることが大事」と考える親と、今後は二極分化していくのではないでしょうか。
人間は安定を求めるものですから、昔の基準にしがみつくのがよくないとはいちがいにいえませんが、「いい企業へ」という幻想を捨てて新しい道を探そうというのもひとつの道です。その両方のバランスがとれているのが今はいちばん良いのかもしれません。日本の親は、とかく「勉強、勉強」と子どものお尻をたたきがちですから。
しかし、それだけで子どもの能力ややる気を高めることはできません。学力というのは、機械的に知識を詰め込めば達成できるものではないのです。点数ではなくて、自分が本当に何をやりたいのか、そのためには何が大切なのか、そういうことをしっかり自分なりにつかんでいく心構えをもちたいものです。
最初は大きな目標はもてないでしょうから、「あの先生が好きだから、自分もあの先生のようになりたい」ということでもいいのです。内側から湧きでる「動機づけ」が大事なのです。自分の内側から出た動機によって得られた知識と、ただお尻をたたかれて得られた知識とでは、同じ80点でも天と地ほど違います。
たとえばいくら算数ができる子でも、「算数ができる」ことが自分にとっての喜びでなければ、本当の意味では伸びないでしょう。逆に言えば、喜びや満足感を見つけることによって、自ら学び続けるようになるのです。その意味では、子どもたちがそれぞれ身の丈に応じたレベルの学習をしていく公文のメソッドは、すばらしい原理だと思います。挑戦して「できるようになった」という、子ども自身の喜びを作りだすからです。それが本当の意味で意欲を伸ばす最良の道といえるでしょう。
それを親が心がけることによって、子どもが「成績を上げることが第一ではないのだな」と、自覚できるようになることが大事です。子どもにとって、そして親自身にとっても「自分がここまで向上した」という自覚をもてる学びでありたいものですね。
関連リンク NPO法人 保育:子育てアドバイザー協会