今という時代に求められる発達心理学
NPO法人 保育:子育てアドバイザー協会 夏期講習会にて(2013年8月、於:東京) |
今という時代は、社会そのものが変動期であり、たくさんの問題をかかえています。子育てひとつをとってみても、少子化や虐待などをはじめ課題が山積みです。
発達心理学は、一般的には「子どもの心理学」と思われがちですが、実は人の成長と衰退はなぜ、どのようにして起こるのか、それを生涯にわたって追及していく学問です。先のような諸問題も当然発達心理学の研究対象ですが、その解決に向かって、少しずつですが着実に成果をあげつつあると感じています。
けれど、心理学を志したころは、現代社会の、特に子育てにかかわるさまざまな問題の解明やどう対応していけばよいかを考えるのに役立つとは思いもよりませんでした。
「精神的に不安定」という自覚から心理学の道へ
発達心理学を学ぼうと思ったきっかけは、実は自分でもよくわからないのです。おそらくひとつではなく複数の要素があったのだろうと、今になって思います。
私は小学校のころから子ども好きで、近所の幼児たちを集めてよく遊んでいました。もともと子どもの心や気持ちなどに関心があったのかもしれません。
もうひとつは、私自身が神経質な子、今でいえば情動不安定で、特に青年期には自分で自分の精神の不安定さを自覚していたことが考えられます。ちょっとしたことに感動し過ぎたり、強い不安を覚えたりしたのです。そんな体験もあったため、旧制高等学校時代には、心理学のサークルに所属していました。
旧制高等学校ではフランス語を専攻しており、親しい仲間は大学進学にあたりフランス文学の道を選びました。私は、生意気にも文学を大学で学問として学ぶことに疑問を感じ、大学でなければ学べない学科に進もうと考えました。そのとき、「心理学に」と思ったのは、自分の精神の不安定さが背景にあったからではないかと思います。
また、私は男三人兄弟の真ん中なのですが、3人でいると、たいてい2人が組になって1人を邪険にするもので、幼心に人間関係のむずかしさを感じとっていました。これも、心理学を学ぶひとつの動機になっているかもしれません。
精神分析学者のフロイトは、人生の目標や進路を決めるのはひとつの要素ではなく、いろいろな要素があり、それらが一致した方向を指していると決定しやすい、という「多元的決定」を説きました。言われてみると当たり前で、私の場合もそうだったのでしょう。
イメージと違った「心理学」に苦しむ
そして大学へ行き心理学を学ぶことになったのですが、イメージしていたのとまるで違っていました。旧制高等学校のときにフロイトの精神分析を生かじりしていた私は、人間の精神や人間性とは何かといったことを学びたかったのに、当時大学で行われていたのは、細かい実験ばかりをする「実験心理学」といわれるものでした。
「精神分析が心理学だ」と思っていた私はギャップに苦しみ、性に合わないからやめようかと何度も思ったものです。
でも、昔気質の学生でしたから、やめることなく一応忠実に学びました。当時、大学は3年制でしたので、3年次に卒論を提出しなくてはなりません。前年の2年生のときの予備研究で、性に合わないながらも実験心理学の研究発表をしたところ、高い評価を得ました。しかし、そういうことをいくらやっても、私が考えていた「人間性」というものに本当に近づくのか、という疑問は募るばかりでした。
そこで、卒論のときには思い切って、「子どもの研究をしたい」と申請したのですが、やはりなかなか受け入れられません。「子どもの記憶の実験的研究」に力点を置くことでなんとか承認されました。
こうして何とか卒論に取りかかったのです。しかし、アカデミックな心理学への関心は薄れ、卒業後に研究者になろうという気は起こりませんでした。むしろ、卒業したらジャーナリストにと思い、ラジオ局のプロデューサー職に応募し、入社が決まっていたのです。
ところが、当時の難病であった肺結核に罹ってしまいました。病気がわかったのが卒業年次の夏で、休学することになり、就職もかないませんでした。
療養中、退屈紛れに読んだ本で心理学への興味が復活
そのころ、たまたま私のいとこが、肺結核の病理学で世界的に権威のある岡治道先生の弟子で、私の肺のレントゲン写真を持ち込み、先生に診断を仰ぎました。すると、「長くて3年、短くて1年だろう」と言われたそうです。
いとこはそれを私には伝えなかったので、私は当時、何も知りませんでした。手術をする予定だったのが、直前になって「しなくていい」ことになったのも、症状が軽かったからだと勝手に解釈していたほどです。
実は反対で、手術しても手遅れで間に合わないから、でした。もう、自宅で寝ているほかなかったのです。当の私は知らないからのんきなもので、寝ているのは退屈だと、それまで買ってあったけれど読んでいなかった心理学の本を読むようになりました。
そこで驚きました。大学で学んだ実験心理学は、「細かい実験ばかりしていて人間性の些末なことをやっているに過ぎない。人間性の本質とは何の関わりもない」と思っていたのですが、それは間違いだと気づいたのです。私の実験心理学に対する考えは非常に浅かったことが、退屈紛れに読んだ本のおかげでようやくわかり、心理学に対する考えをあらため、興味が復活しました。
そして、本当は助からなかったはずの私でしたが、アメリカで開発された結核の新薬が奇跡的に効き、症状が治まりました。3年後に社会復帰できるようになった私は大学院に入り、再び心理学を学びはじめることができました。
その後、『記憶の病気』というフランスの精神病理学者ドレイが著した本に出会い、研究にあたっての方法論が初めて自覚でき、発達心理学の研究を生涯の仕事にしようと思ったのです。
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