「チンパンジーの育ち」から「ヒトの育ち」をひも解く
野生のチンパンジーの子ども |
チンパンジーがヒトにもっとも近い現生種だということは、みなさんご存じかと思います。よく、「チンパンジーは人間でいうと、3歳から5歳くらいの知性」と言われますが、その表現は正しくありません。チンパンジーはチンパンジーとして生きる環境で育つための知性を獲得して進化してきたわけで、ヒトの発達と同じものさしで比較するのはフェアではありません。「ヒトの育ち」と「チンパンジーの育ち」、それぞれの共通部分と異なる部分の両方を特定し、「ヒトはいつからヒト独自の心のはたらきを獲得していくのか」を解明する。これが、私が築いてきた「比較認知発達科学」という学問です。
恩師のひとり、元京都大学霊長類研究所の松沢哲郎先生(現京都大学国際高等研究院特別教授)は、チンパンジーの認知機能を明らかにすることで人間の知性の進化的起源を探る「比較認知科学」という研究分野を開拓されました。私はそこに「発達」という時間軸を組み入れ、それぞれの動物種の育ちの多様性を重視しました。
小さいころから心に興味がありました。「人間ってなんだろう」、「自分ってなんだろう」と考えるような子でした。小学生の頃は、校庭で友達と遊ぶよりも、空を見上げて「死ぬってどういうことかな、体がなくなるとどうなるのかな」、なんて考えているほうが好きでした。変わった子ですよね(笑)。
母によると、とにかく「しゃべらない」、「本が友だち」だったようです。ことばを介す必要のない相手、つまりヒト以外の動物が好きで、将来は獣医さんになりたかった。家庭の事情で犬は飼えなかったのですが、犬が登場する本を読んでいると、本当に自分が犬を飼っている気分になってきて、それで満たされていました。空想の世界に入り込むタイプだったので、あまりしゃべらなかったのかもしれませんね。
ことばにすると、「誤解されるかも」という不安が強かった。話すのはあまり好きではありませんでした。そのかわり、相手の振る舞いをじっと観察したり、「この人何を考えているんだろう?」と想像したり。今思えば、チンパンジー研究そのものですね(笑)。チンパンジーとはことばは介しませんが、表情やしぐさで分かり合えることがたくさんありますから。幼少期から、ことばを介さないコミュニケーションに興味があったのだと思います。
「生と死」に興味をもち、産婦人科医を志す
親は働いていたので、同居する祖父母が日々の面倒を見てくれていました。祖母は、立ち振る舞いにとくに厳しい人でした。「神棚のお水を換え、手を合わせてから学校に行きなさい」、「姿勢に心が表れているよ」、「人の目を見て話しなさい」。今でも、その教えが体に染みついています。でも、厳しいだけでなく誰よりも優しく、凛としていて、とても素敵な女性でした。祖母から受けた影響は大きいですね。私は自分で毎日の目標を立て、「今日はここまでやった」という達成感を味わうのが好きなのですが、そこには祖母からの「自分で決めたことは最後までやり通しなさい」という教えがあるように思います。
勉強は好きでした。頑張った分だけ、成果がはっきりと出る活動ですから。地元の公立の小・中・高校に進学し、高校3年の頃には産婦人科医になりたいと思っていました。きっかけは、2年の保健体育の授業で見た、ヒトの生命誕生についての映像でした。精子と卵子が結びついて、すごい勢いで細胞分裂して体らしきものができあがり、やがて心が宿っているかのように体がふるまいはじめ……。とにかく不思議でした。たったひとつの細胞がなぜ分裂していくのか、分裂からなぜこれほどうまく体ができあがっていくのか、いつからそれが人間と呼びうる存在となるのか……。「生と死」に関心をもったことから、産婦人科医になりたいと思ったのです。
医学部への進学を目指して、受験勉強に取り組んでいました。ところが、なぜか最後の最後に迷いが生じてきた。「医学では、人間の心の奥底までたどり着くことはできないのではないか」と思い始めたのです。当時、京都大学では、河合隼雄先生を中心とした臨床心理学が脚光をあびていました。ここに道がある、と強く思いましたが、進路はすでに決まっていました。進路を変更したいと母に言ったら反対されるに決まっている。だから、自ら決まっていた進路を断ち、母には事後報告しました。母の第一声は意外にも、「自分が幸せだと思うように進むのがいいんじゃない?」。今思い出しても、感謝の思いがあふれてきます。
信じて認めてくれた母 モチベーションを支えてくれた二人の恩師
進路の選択の際にはいろいろと考え、迷いましたが、“悩む”ことはなかったですね。やりたいことがぼんやりとみえてきていましたし、やりたいと思ったら「やってみないとわからない」と割り切って前に進むタイプなので。最近の学生さんをみていると、手持ちの選択肢の中でベターなものを選ぶタイプが多いような気がします。若い皆さんには、ベストな選択を積極的に考え、「まずやってみよう。失敗しても、次がある」と思える経験を多くもってほしいですね。
今は、子どもに失敗させる、放っておくことが難しい時代なのかもしれません。「まず、やってみる」という思いを強く抱けるかどうかは、幼少期の経験の影響が大きいように思います。私の場合、何をやっても母は信じ、認めてくれました。今の私があるのは、「自分で選択する猶予」を親が与えてくれたから。でも、その反面、祖母の影響もあって、「自分で責任を取らなくては」という意識は高校生くらいから強くありました。親が決めていたら、失敗を親のせいにしていたかもしれません。互いに一貫した信頼があったのだと思います。
受験勉強をやりなおし、河合隼雄先生のもとで学ぼうと、京都大学教育学部に入学しました。ところが、ここでも迷いが生じてしまいました。障害をもつ子どもたちに寄り添いたいと、ボランティアサークルに所属し、活動していました。しかし、彼らの心は多種多様で、教科書で学んだ知識が役に立たない。限界を感じました。これからどこに向かうべきか、数か月一生懸命考えました。そして出した結論は、もういちど生命の原点にたつこと。「人間とは何か、人間らしさとは何か」を考える研究をしようと思いました。
転機は大学4回生のときです。障害児心理・教育のトップリーダーであった田中昌人先生(故人)のゼミに参加していました。先生に私の思いを聞いていただくと、開口一番、「人間を知るには、こういう方法もあるよ」と、愛知県犬山市にある京都大学霊長類研究所(以下、霊長研)を紹介してくださったのです。チンパンジーという存在を通して人間らしさを浮き上がらせるアプロ―チです。
田中先生に、霊長研の松沢哲郎先生を紹介いただき、松沢先生も私の希望を快く受け入れてくださいました。霊長研で研究を始めた当初は、どんなに忙しくてもほぼ毎日30分、個別指導をしてくださいました。この時期、私の素朴な研究へのモチベーションを高め続けてくださった二人の恩師との出会いがなければ、決して今の私はありません。
関連リンク 京都大学大学院教育学研究科 明和政子研究室
後編のインタビューから -育児に専念した2年間 |