池に浮かんだ大量の魚を見て、科学を絶対視することに疑問

私は、暗くなるまで野球をするなど、子どもらしい子ども時代を送っていました。親から「勉強しろ」と言われたことは一度もなく、しかし「早く寝ろ」と厳しく言われて育ちました。最近の子どもたちは寝るのが遅いようですが、せめて10時には寝ることをお勧めします。早く寝ればスッキリ目覚め、学校の授業もきちんと聞けます。授業が分かれば、勉強も面白くなります。それはもしかしたら早寝のおかげかもしれないと、親には感謝しています。
そんな私ですが、「大人になったら社会の役に立ちたい」と考え、小学生のころから漠然と「医者になろう」と思っていました。その思いが強くなったのは小学校高学年のころ、通学路のわきの池に、ある日大量の魚が死んで浮かんでいたのを見たのがきっかけです。農薬が原因でした。光化学スモッグなど公害がクローズアップされていた時代で、世の中に役立つ科学技術であっても、逆に人間を苦しめることがあると思い知らされました。ならば、絶対に人のためになる仕事をしようと、医者の道を選んだのです。
栄養学の研究者だった父が医学の博士号も持っていて、父に勧められたことも影響しているかもしれません。それで中学・高校時代には、真剣に医学部に入ろうと勉強を頑張りました。もともと勉強は嫌いではなかったのですが、その原点は、小さいころ、母が毎晩してくれた読み聞かせにあるように思います。しかし母の読み聞かせは、ドキドキするような場面で急に話が止まることがありました。読みながら眠ってしまうんですね。早く続きを知りたい私は、寝てしまった母から本を取り自分で読むこともありました。そうしているうちに、新しいことを知る楽しさを知り、漢字もだんだんと覚えるようになりました。