入院したクラスメイトに勉強を教えるおせっかいな子ども時代

病気の子や障害のある子たちの健やかな成長をサポートしていくには、医療的な支援ばかりでなく、心理的・社会的な支援も必要ではないか……。わたしは医師になって20年ほどになりますが、その初めの年に、ある少年との出会い(後述)を機にそう感じ、「子どものこころの診療に携わりたい」という想いを強くしました。
もともと、父は日赤病院の勤務医、母は助産師の資格をもつ看護師で、両親が医療従事者ということもあり、小学生のときには漠然と「お医者さんになりたい」と考えていました。弱い者いじめがきらいで、中学生のとき特定の女の子をいじめる男子に「なぜいじめるの!」とその現場に立ちはだかって注意したり、彼女が盲腸で入院したときには、だれに頼まれたわけでもないのに病院に行って授業の内容を教えたり。とにかく、人の世話を焼きたがるおせっかいな子でしたね。
そんな反面、わたしは緊張するとお腹が痛くなるたちで、中学の全校集会のとき、お腹が痛くてそわそわしてしまい先生に注意されたことがありました。「お腹が痛くなったんです」と理由を正直に言ったにもかかわらず、「うそをつくな!」と疑われてしまい、大きなショックを受けました。その不合理な注意に納得できず、その直後からその先生に反抗的な態度をとることが多くなりました(苦笑)。しばらくして、同じクラスの子からわたしのお腹の痛みのことを聞いたようで、先生が謝ってくれました。それからですね、いろんなことを話したり相談したりと、その先生とはすごく仲良くなりました。
勉強については、なぜかはわかりませんが「言われなくてもやらなくては」という使命感めいたものがあり、クラスで1番でないと気がすまないような子でしたね。ただ、高校に進学したころは、自分自身のことや友人関係で悩み、睡眠不足や食欲不振が続き、勉強が手につかなくて成績が落ちたりなど、まさに悩める思春期時代を過ごした記憶があります。「ガラスの自分」というタイトルで作文も書きました。そのときは、所属していた新聞部の仲間がはげましてくれましたね。今でもそのシーンは明瞭に思いだします。
この新聞部時代はたくさんの思い出があるのですが、「今どきの高校生」と題して自分が抱えた悩みをもとに、友人関係、身体の悩み、異性に関すること、そして将来の夢などを特集テーマにした号が、高校生新聞コンクールで全国1位になったのはうれしかったですね。仲間と作り上げたひとつの成果が評価されたことは、大きな自信にもなりました。
高校生も後半になると、小学生のときの「お医者さんになりたい」という漠然とした気持ちはいよいよはっきりとしたものになり、医学部をめざして勉強しました。結果として順天堂大学に合格できたのですが、やはり第一志望であったある国立大学をめざしたいと思い、「1年浪人させてほしい」と父に頼みました。すると、「順天堂は歴史のあるいい大学だよ」と言ってくれました。当時は悩みましたが、いまはこの一言にしみじみ感謝です。