人の成長を実感できる
コーチという仕事
現在、私はコーチ業と講師業の2軸で主に活動しています。コーチ業では、経営者、起業家、ビジネスパーソン、教員、主婦、学生など様々なクライアントにコーチングをしています。コーチングとは、対話を通じて相手の可能性を最大化し、目標達成を支援するコミュニケーションスキルです。

コーチング内容は守秘義務があるので詳細にはお伝えできませんが、例えば経営者であれば、「今後どう事業を拡大していけばいいか」、主婦なら「子育てが一段落した今、これから自分の人生をどう充実させればいいか」といった内容です。メンタル的なものであれば、モチベーションを高めたり、やった方がいいとわかっているのに腰が上がらない場合にはメンタルブロックを外し、見方を変え行動につなげていったり、という具合です。
コーチングのポイントは、「視点を変え、行動までつなげる」こと。そこがカウンセリングとの違いだと感じています。「よりよい自分になりたい」という思いをサポートし、プラスの状態をさらにプラスにしていくイメージです。「こうしましょう!」などと指示するのではなく、「相手の中に答えはある」という考えの下、クライアントの話をしっかりと聴いて受け止め、質問やフィードバックなどによって感情や思考に新たな視点を与えて、自ら答えに気づけるよう促しています。
この仕事の魅力は、なんといっても人の成長や変化が見られることです。しかもその場面は大きくふたつあります。ひとつは1回のセッション時です。時間は45分から長くても60分なのですが、初めと終わりとではクライアントの表情や声がまるで異なり、前向きになっていきます。その変化に私自身も元気をいただいています。
もうひとつは、回を重ねた場合の変化です。コーチングというのは、クライアントが目指すゴールに向けて、複数回セッションを行いながら一緒に山に登っていくようなものですが、回を重ねていくと、クライアントがまったく違う“自分”になっていくことがあります。クライアントが心の中に押し込めていたものが徐々に出ていき、3、4回後にはいい意味で最初とは全然違うところに到達したり、当初は内向的で慎重だった方が、やってみたいことに次々トライしてイキイキ輝くようになったり、そうした変化に接することができる、とてもやりがいのある仕事です。
この4月からは、講師としての活動も本格的にはじめました。現在は企業の新入社員研修を行っています。ビジネスの場で必要となる基礎的なコミュニケーションスキルやロジカルシンキング、それらを用いた課題解決型のロールプレイング演習などを扱っています。講師業も行うようになったのは、コーチングをする中で、改めて自分は「教えることが好き」だと認識し、教員の経験を生かしたいと思ったからです。
教員スキルを磨こうと休職して海外渡航を計画したが…
コーチングと出逢ったのは2020年の秋でした。教員にはやりがいを感じていましたが、その後のキャリアを考えると、もっと視野を広げたい、教員スキルを磨きたいと思い、その年の4月から1年間休職をして海外に行くことにしました。

「カナダの高校でインターンとして働くこと」、「多彩な人たちと行動するピースボートに乗船すること」というふたつを計画して、それぞれに入金も済ませました。そこに起きたのが、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行です。海外に行くことは叶わず、家で悶々と過ごす中で、様々な人と交流できるオンラインスクールを見つけてエントリーしたところ、その中に「コーチ」という職業の人がいて、そこで初めてコーチングを知りました。
調べるとコーチングは教員のスキルとしても有意義だとわかり、すぐにコーチングスクールに入会し学び始めたところ、どんどんのめり込んでいきました。当初はあくまで教員の仕事に活かすつもりでしたが、コーチングの練習をしていると自己理解が深まり、「自分の人生は、本当にこのままでよいのだろうか。教員という仕事がベストなのだろうか」という疑問が生まれてきたんです。
マルチタスクの教員の仕事よりも、絞り込んで追求していくコーチの仕事の方が、より自分の強みを活かすことができ、かつ自分の大事にしたいことを大事にしながら生活できるのではないかと思うようになりました。そこで復職して1年で教員を辞めて、コーチングに軸足を移すことにしたのです。
私が「大事にしたいこと」というのは、仕事だけではない部分の幸福度です。こう思うのは、家庭・家族を大事にしてくれた母の存在が影響しています。私は自分の意思で中学受験をして私立の中高一貫校に進学しましたが、経済的には決して裕福な家庭ではありませんでした。ちょうど中学入学時には事情があって家計が苦しくなり、母は仕事を掛け持ちして、とにかくよく働いていました。それでもまったくつらそうではなく、むしろ人生を楽しんでいるように見えたんです。多忙な中、弁当も手抜きせずにつくってくれ、深い愛情を注いでくれました。
そんな母を尊敬していますし、常に家族を応援できる心のゆとりがある母のような生き方をしたいと、自己理解を深める中で思うようになったんです。教員を辞めると決めたときも、いつもの通り「あなたの人生なんだから、あなたのやりたいようにしなさい」と、エールを送ってくれました。周囲も「できるんじゃない」「やってみなよ」と背中を押してくれ、私自身も不思議なくらい不安はありませんでした。
「ちょうどの学習」で
ますます学びが楽しくなる
私は一人っ子で、幼い時は公園などで友人とブランコや鬼ごっこをして遊ぶことも好きな一方、パズルやなぞなぞなど、頭を使う遊びも好きでした。3~4才の頃、同い年の友人と本屋に寄った時、友人は戦隊ものの本を買ってもらっていたのに対し、私は挿絵が独特ななぞなぞの本を自分で選んだことを覚えています。小さい時から、学ぶ、考える、分からないことが分かるようになる、といったプロセスが好きだったのだと思います。

勉強も好きでした。塾にも通っていたので、友人に教えることが多く、その時に「自分の得意なことで喜んでもらえるのってうれしいな」と思ったことが、先生になろうと思ったきっかけです。小学校の担任の先生が、とても子ども思いで熱い先生だったことも、教職に憧れた理由のひとつでした。
塾に通ったのは私の希望です。単純に「カッコよさそう」という理由で、母子ともにそこが進学塾であるとも知らずに通っていましたが、学校とは違う内容を学ぶことが純粋に楽しかったですね。塾の友人が中学受験をするというので、私も自然に受験を意識しましたが、母にそんなつもりはなかったようです。しかし、否定せずに応援してくれました。何事もそうで、私は「やりたい」と言ったことを否定された覚えはありません。公文国際学園を選んだのは、国算の2教科受験、共学、制服や校則なし、という点に魅力を感じたからでした。
入学後に初めて公文式学習に触れ、学年を超えた学びができる点が自分に合う学習法だと感じました。塾での勉強が楽しかったのも、おそらく学校の授業では私の「ちょうどの学習」ができなかったからだと思います。人には個性があり、強み弱みも様々です。しかし、日本の学校では「この年齢でこれを学ぶ」というのがみっちりと決められています。その考えは無意識に人々に刷り込まれていて、大人になっても「この年でこれをやるなんて遅い/早い」と、自分が本当にやってみたいことに蓋をしてしまうことがあります。
しかし、公文式ではそれがなく、できるなら進めばいいし、できなければ何度やってもいい。この「ちょうどの学習」が公文式最大の魅力で、結果「いつでも自分にちょうどの所をやればいいんだ」という挑戦マインドを身につけることにつながるのだと思います。
関連リンク 宮入 涼/Roty|note 銀座コーチングスクール Coach:宮入 涼 Facebook
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後編のインタビューから -指導者視点でも公文式の魅力を実感 |