東京大学を卒業し、
母校で夢だった教員に
指導者視点でも公文式の魅力を実感
私は勉強は得意でしたが、他人と比較してしまい、自分に自信を持つことができませんでした。クラスでは楽しめず、部活動の水泳部も中途半端な一方で、中高時代に何かに没頭したいという思いはありました。そんなある時、担任の先生から勧められたのが東京大学への受験です。自分には無縁だと思っていましたが、私にとって没頭できるものとは勉強かもと考え、チャレンジすることにしました。
そこで役立ったのが公文式学習です。公文式の教材は本当によくできていて、前の教材をたびたび振り返りながら、一つひとつ歩みを進めていけば、必ず成長できるようになっています。とくに苦手な古文については、やさしいものを完璧にすることを続け、できるようになったら次のランクへ進む、ということを繰り返しました。自分にとっての「ちょうどの学習」を積み重ねていったこと、「自ら学ぶ力」がついていたことが、希望をかなえられた要因だったと思います。もし、最初から皆がやっている難問から取りかかっていたら途中で断念していたでしょう。公文式は、受験勉強だけでなく、その後の言語の学習やコーチングの勉強に至るまで、私にとって「学ぶ」ということのベースになっています。
大学卒業後は夢だった教員として母校に採用され、そこであらためて指導者視点で公文式学習のよさを思い知ることになりました。それは「不親切な指導」という考え方です。それまで教師とは「どれだけ分かりやすく教えるか」を求められる仕事だと思っていましたが、よく考えれば、大事なのは「どれだけ生徒が自分で学び、成長できるか」にあると思います。そう考えた時、懇切丁寧に教えることは、ややもすれば子どもの学びや成長を阻害してしまうのではないか、ということに気づかされました。
こうしてお伝えしていると、夢もかなえられ、順風満帆な道のりのようですが、教員になっても自分が嫌いで、自分の存在価値が感じられないことが多くありました。あるとき、同僚にそんな悩みを打ち明けたら「お前はインドに行け!」と言われて…(笑)。海外経験のほとんどない私にはインドはハードルが高すぎたので、その夏に友人と北欧に10日ほど行くことにしました。その時、自分の五感で異文化に触れることに魅了され、翌年の夏には、初めてのひとり旅へ。そこで、いろいろな考え方や生き方をしている人たちに出会い、今まで自分がいた世界がいかに狭く、閉じられたものだったかを思い知りました。以来、海外一人旅にハマり、クロアチア、カンボジア、モロッコ、ペルー、ボリビアなど、長期休暇を利用して約30の国と地域を旅しました。
「みんな違って、だからいい」
多様性があるからこそ、
もっといいものが生まれる
旅はするだけで、自分の考えや価値観がいかに狭く、閉じられたものであるかを思い知るいい機会となります。旅を糧とするためには、海外の文化や価値観と触れた時に生まれる自分の感情を相対化し、客観視することが大切だと思います。人は自分と違うものと触れた時に、強く自分の考えや視点、価値観を意識することができます。その自分の価値観などを見つめて、それは自分が今後も大切にしたいものなのか、あるいはできれば手放したいものなのかを見極めることで、より「自分らしい自分」になっていけます。
そして、それは自分で決めた自分なので、責任をもって自分を受け容れられるようになります。私自身、そういう旅の経験があったからこそ、自分を受け容れ、自分ならできる、なんとかなるという自信を持つことができるようになりました。
様々な人々と出会う機会でもある旅は、同時に、「多様性があるからこそおもしろい」ということも教えてくれました。また、大学時代に所属していたアカペラサークルも、男女混合で高音と低音、それぞれの個性が調和してひとつになる点に魅力を感じていました。さらに振り返ってみれば、中高時代に「表現祭」(学園祭)で行った演劇は、それぞれの個性が生かされながらまとまるもので、その感覚にハマっていました。主役も脇役も大事な要素で、脚本を書くのが好きな子も、大道具が得意な子もいて、それが一体になって作品ができる喜びが原体験となって、後述する「シナジークリエイター」につながっています。
私は「みんな違って、だからいい」という言葉を大切にしています。「みんな違って、みんないい」は、金子みすゞさんの詩の一節として有名で、これには互いを認める姿勢がしめされていると思います。しかし、私は、成熟した日本社会で人が今より幸せになるには、「認める」だけでは足りないと思います。違いがあるのを認めたうえで、その違いを掛け合わせ、強みは活かして、弱みは補い合うことで、一人では成し得ないことを生み出せたり、得られない感情を感じられるようになると思います。個性に違いがあるからこそ、社会はまわり、発展していると言っても過言ではありません。
一方で、日本は同調することが求められてきた社会で、人と違うことが必ずしも良しとされません。生態系がそうであるように、「多様性があるからこそ、もっといいものが生まれる」――それを伝えるためにも、私は「シナジークリエイター」という役割を目指して活動したいと思っています。「シナジー=相乗効果」を創り出せる環境や土台をつくる人という意味合いで、私の造語です。
「学ぶ」とは
できることが増えて
可能性が広がること
「シナジー」は一人では創り出せません。チームや組織でシナジーが創り出される時、そこにいるメンバーは誰もが「欠かせない存在」として個性や強みを発揮することになります。そうすると皆が「自分はここに必要な存在なんだ」「ここが自分の居場所なんだ」と存在意義を感じ、幸福度が高まり充実した人生を送れるようになるはずです。大人社会がそうなれば、子どもも「自分はこれができないけど、できている部分で貢献できるかも」と、前向きに思えるようになるでしょう。
ところが、今の日本の子どもたちは、私が接してきた経験からも自己肯定感や自己受容感が低い子が少なくないように感じます。そのことが今、私の一番の関心事であり、心配なことでもあります。競争社会の中で横行する「~~すべき」という圧力によって、自分らしさを減らしてしまい、本心を言えない状況であることも気になります。その解決には、子どもに働きかけるだけでは不十分で、子どもに接する大人、特に「親」の考え方や接し方が子どもを勇気づけるようなものであることが必要です。
子どもたちは、私たち大人が思っている以上に大人のことをよく見て、自分なりの考えや価値観を日々形成しているように思います。近くにいる大人、つまり保護者の方が自分らしく、日々イキイキと楽しそうに過ごしていれば、子どもも「きっとこの世界は素敵で、大人になるって楽しいことなんだ」という想いを抱くはずです。ぜひ、子どもたちに、そうしたことを身をもって伝えてください。人は未来にワクワクするからこそ、今を頑張ることができます。私もコーチングを通じて「イキイキと自分の人生を歩める大人」を増やすことに貢献したいと思っています。
子どもたちには、何よりも、学ぶことを楽しんでほしいです。学ぶとは、自分の知らないことを知ること、できなかったことができるようになること、自分の世界が広がることです。そうやって自分の可能性が大きくなることほど楽しいことはありません。将来できることも、役に立てることも増え、楽しさや幸せも増えていきます。
人が学びで「楽しい」と感じるのは、自分の実力より少しだけ難しいことにチャレンジしてできたときです。その「ちょうどの学習」ができるのが公文式です。自分にとって一番「楽しい」と思える学習を続けることで、ぜひ自分の可能性をできる限り大きくしていってください。そしてどんな形でもよいので、ぜひ日本の未来を明るくする一員になって、一緒に素敵な世界を創りましょう。
関連リンク 宮入 涼/Roty|note 銀座コーチングスクール Coach:宮入 涼 Facebook
前編のインタビューから -人の成長を実感できるコーチという仕事 |