公文で身についた「見通しを立てて学ぶ」姿勢
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父だけでなく、4学年上の兄の影響もとても大きかったです。兄は学校でならったことを私に教えてくれたりして、私は常に兄の背中を追いかけていました。公文に通うようになったのも兄が通っていたからです。小1から算数をはじめ、小6で最終教材まで進みました。そこまでできたのは、学校の勉強と違って、自分の学年の内容でなくても進もうと思えばいくらでも進めることができる仕組みだったから。「がんばって進めば兄に追いつくのではないか」と考えたんです。この「自分のペースで進められる」というのが、公文式のいいところだと思います。
私が具体的にどうがんばったかというと、当時の公文式は3学年上に進むと「進度上位者の集い」に参加することができたので、まず、それに出られるようになろうと考えました。そして上位者になると、当時は冊子に氏名と県名が掲載され、県内に自分の上に何人いるかもわかるので、今度は彼らに追いつくことがモチベーションになりました。
両親の働きかけもよかったのかもしれません。実家は鮮魚店を営み、多忙だったはずですが、私たち兄弟とよく遊んでくれる親で、昆虫採集はもちろん、雪深い冬はトランプやまわり将棋をしたりしていました。それで「公文が終わったら一緒に遊ぼう」と言われると、遊びたいからがんばれるんですよね。
公文式をやっていたおかげで私は算数が得意になり、計算も速くなりました。公文式学習を続けたことで、今に役立っていると感じるのは、「学ぶ姿勢」、つまり、自分で勉強のスケジュールを立てたりモチベーションをつくったりすることが習慣づいたことです。
3学年先を目指して取組んでいたといいましたが、そうしていると、「このペースでこのくらいやるとここまで終わる」ということがわかってきます。研究をする上でも「このくらいのペースで進めれば間に合うだろう」と見通しを立てることはとても大事で、公文で身につけた習慣が現在の研究生活にも生きていると感じます。
関連リンク
国立研究開発法人 産業技術総合研究所
生物共生進化機構研究グループ
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後編のインタビューから -夢を追いかける中で出会った大人たち |