自由な作品づくりを奨励してくれた恩師との出会い
卒業制作の作品が「原弘賞」に
「女が大学行ってどうするんだ」という父を、「学費が安い国立だから」と説き伏せて、東京藝術大学を受けましたが、不合格。でもあきらめきれず、「浪人させてほしい」と親に伝えました。難色を示していた父でしたが、私が相当がんばっている姿を見ていたからか最後には了承してくれ、私はもう1年間美大受験の予備校に通いました。
そうして1年後武蔵野美術大学視覚デザイン学科に合格し、進学しました。大学では、おもしろいパッケージを考えるなど、自由にできると期待していたのですが、入学してみたら文字のデザインや私には興味のない授業ばかり。デザイン科なのでそれが当たり前なのですが、私は型にはまったことをやるのが苦手なので、せっかく入学した大学をやめようかと悩みました。
転機が訪れたのは、3年生のときです。選択授業が始まり、私はあえて学生数が少ない、本づくりをする「エディトリアル」を選び、そこで恩師といえる先生と出会いました。もともと少人数なのに出席しない学生が多く、学生は私だけというときも時々ありました。授業とは無関係の、先生のこれまでの歩みや人生談を聞くのが楽しみでしたし、型にはめない自由な作品づくりを奨励してくれたのもうれしくて、学生生活がとても充実するようになりました。
卒業制作では、空想上のシュールな生き物をモチーフにした画集をつくりました。表紙を樹脂で立体的につくって、中身をジャバラ式にしたちょっと独特な作品です。その作品は、かつて武蔵野美術大学で名誉教授を務めグラフィック・デザイナーとして活躍された原弘さんの名を冠した「原弘賞」をいただきました。
ちなみに、「うずらちゃん」などは、かわいらしいとよく言われますが、もともと私の好みは少しシュールな絵で、画家でいえば、ヒエロニムス・ボスやアンリ・ルソー、サルバドール・ダリなどです。私は彼らの作品に影響を受け、学生時代はシュールな絵をよく描いていました。
卒業後は、将来独立することを視野に、書籍のデザインをしている個人事務所に勤めましたが、性に合わず、半年で退職。
その後、やっぱりイラストの仕事をしたいという思いもあり、つてをたどって仕事を探しました。自分の道を懸命に模索していたころ、ある人から「あなたの絵はイラストよりも絵本向きでは?」と言われたことが転機になりました。自分でも「そうかもしれない」と思い、すぐに図書館に行き、絵本出版社の住所と電話番号を調べ、次々と電話して作品をつくって持ち込んだのです。6~7社目が、私のデビュー作となる『うずらちゃんのかくれんぼ』を出版してくださった福音館書店でした。
でも、絵本を作るのにはとても時間がかかりますので、生活が成り立たなくなり、大学教授の紹介で出版社に契約社員として入社し、デザインや装丁補助などをしながら絵本の制作を続けました。
『うずらちゃんのかくれんぼ』は最初は『うずらのジョン』だった
今でこそ、多くの方に手に取っていただいている『うずらちゃんのかくれんぼ』ですが、最初に福音館書店に持ち込んだときは、『うずらのジョン』というお話でした。「うずらのジョンがりんごをひろった」という文章で始まり、そのひろったリンゴがなくなってしまい、うずらのジョンが友だちを疑って歩いて仲間はずれになる話で、オールカラーで描きました。
それを見てくれた編集者から、「絵はおもしろいけれどお話がちょっと……。でもまた持ってきてきたら見てあげるよ」といわれ、描き直しては持ち込んで、ということを何度も何度も繰り返しました。その過程で、「もう少しお話をシンプルにして、絵を生かしたものにしたら」との助言を受け、今度はうずらのジョンが猫に追いかけられて、いろんなところに隠れるというお話にしました。それをさらに描き直し、シンプルにかくれんぼのお話にして完成させたのが『うずらちゃんのかくれんぼ』です。
3年くらいかけてやっと1冊を出すことができたのですが、この1冊を出すのにものすごく苦労したため、「しばらく絵本は描かなくてもいいかな」と思っていましたし、実際にその後絵本は作らず、イラストの仕事といえば時々小さなものを描かせてもらえるくらい。そして、また転職や結婚をするなどいろいろと生活の変化もありました。
絵本出版から10年の月日が流れたころ、奇跡的に『うずらちゃんのかくれんぼ』が愛子さまのお気に入りとして話題になり、ものすごく売れました。
実はそのとき第1子を妊娠中で、流産の危険があり、とても不安な日々を過ごしていました。でも、このことがあり、「苦労したことが報われた」と一気に気持ちが前向きになりました。そして、「赤ちゃんが生まれて落ち着いたら、また絵本をつくろう」という意欲にもつながったのです。無事出産した後は、自宅の飼い犬をモデルにした『ピーのおはなし』など、やっぱり動物が主人公の絵本を中心につくり続けています。
次作は「宇宙」がテーマ
自分のペースで一作一作ていねいにつくっていきたい
今、「うずらちゃん」とはまた違った雰囲気の絵本を制作中です。テーマは宇宙。これまでは未就学児向けの絵本でしたが、もう少し上の年代向けにしようと、ページもかなり増やし、オールカラーのお話絵本になる予定です。このテーマにしたのは、宇宙が好きというわけではなく、宇宙であればどんな変な生き物でも描けるから。学生時代に描いていたシュールな生き物を進化させて、自分も楽しみながら描いています。出版は再来年の春頃なのでまだ先ですが、見かけたら手に取ってみてくださいね。
こうして現在に至っているのは、やっぱり絵を描くことが大好きで、同じくらい絵を観ることも大好きで、それをずっと続けてきたからだと思います。
一方で生活もしなくてはならない、という問題もあります。仕事をする上で何を選ぶかということになるのでしょうが、私の場合は「好きなこと」でないとできないタイプ。興味がないことは続きませんが、好きなことは集中できる。よって会社員は無理でしたが、絵を描き続けるための策を自分なりに考えて行動してきました。そうしたことが私の強みなのかもしれません。
私に影響を与えてくれた姉は、途中で絵の道から離れましたが、今は孫にも恵まれ、とても幸せそうに暮らしています。人にはそれぞれ座るべきイスがあって、落ち着くところに落ち着くのではないかと感じます。
絵の道に進もうとしているお子さんには、たくさん絵を描いたり観たりして刺激を受けることをお勧めします。美術館でなくても身近なところに作品につながるヒントはたくさんあります。たとえばスーパーにはいろいろな商品があるので、造形的なおもしろいものを発見できますし、自然に触れたり、さまざまな経験をしたりすることも、作品づくりに生かされると思います。
趣味的なことを繰り返し続けていくと、それが仕事になる可能性があると思うので、とにかく自分が好きだと思うこと、できることを見つけて続けていくことが大切ではないでしょうか。これは絵の世界だけでなく、すべてのことに通じることだと思います。
わが家の子どもたちは今ふたりとも高校生で、だいぶ楽にはなりましたが、まだ子育ての途上です。何もかもうまくいっているわけではないので、保護者の方には「お互い頑張りましょう」とお伝えしたいですね。ちなみにふたりとも美大ヘ行きたいそうです。画家になりたいという父の夢が、世代を越えて受け継がれているのかもしれませんね。
絵本作家はマイペースでできる仕事なので、死ぬまで仕事を続けようと思っていましたが、最近、親の介護が始まり、それを通じて仕事をするには限りがあることを実感するようになりました。いつか「これが最後」と感じる日が来ると思います。それでも、できるだけ長く、そのときそのときに自分が「これだ」と思う作品を、自分のペースで一作一作ていねいにつくっていきたいと思っています。
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