身近な昆虫から新しい発見をするよろこび
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私は子どもの頃からトンボが大好きで、現在、産業技術総合研究所(産総研)という公的な研究機関でトンボを使った様々な研究をしています。産総研は、日本の産業や社会に役立つ技術研究を総合的に行っているところで、「エネルギー・環境」や「材料・化学」など全部で7つの領域があり、私は「生命工学」領域の生物部門に所属しています。
実はトンボを使った研究は、世界的にもあまりされていないんです。生態学や行動学についての研究はそれなりにありますが、遺伝子レベルの研究はほぼ皆無でした。なぜかというと、まず、トンボは採集や飼育が他の昆虫と比べて難しい。この研究室でも飼育していますが、幼虫も成虫も肉食なので、エサを与え続けることが、かなり大変なんです。
飼育の方法としては、ヤゴ(幼虫)を野外で採集して研究室内で羽化させるやり方と、メスの成虫を採集して卵を産ませて育てるやり方の、大きく2パターンがありますが、そもそも野外でワナを仕掛けて捕まえることができないため、必要な研究材料を予定通りに準備するのが難しいのです。ちなみにヤゴは私自身が水網を持ってこの近辺で採集しています。また、トンボの研究が世界的に進まなかった別の理由として、トンボは農作物にダメージを与える害虫ではなく、人に役立つ“益虫”だから、という点があげられます。なぜなら、害虫でないので防除の視点から研究する必要性がなく、そのために研究予算がつきにくいという側面があるのです。でも、だからこそ、調べてみるといろんな新しいことが発見できる。それがトンボ研究のおもしろいところです。
例えば「アカトンボはなぜ赤くなるのか」といったことさえ解明されていませんでしたが、私たちの研究によって赤色色素の主成分は、オモクロームとよばれる色素であることがわかりました。ちなみに、羽化したばかりのアカトンボの若い成虫は黄色っぽいのですが、黄色から鮮やかな赤色になるのは、成熟したオスだけなのです。それは縄張り争いやメスを引き寄せるため、あるいは体温調節のためという生態学的な理由は報告されていましたが、どんなメカニズムで色が変わるのかは不明でした。
私たちが調べてみると、「酸化還元反応」という化学反応によって色が変わることが判明しました。色を変える生きものはたくさんいますが、酸化還元反応によって色を変える生きものはこれまでに例がなく、新たなメカニズムを発見したことになります。その研究の過程で、赤くなったトンボは抗酸化作用を持つことも確認されました。これは「天然の抗酸化物質」として応用できる可能性を秘めています。
このように、私の研究は「なぜこうなっているのか」という現象のメカニズムを紐解く研究で、「基礎研究」といわれるものです。「なぜこの動物はこの色なのか」「なぜオスとメスとで形が違うのか」といった素朴な「なぜ」を突き詰めていくことで、ものごとのメカニズムが解明されます。すぐに役に立つというよりも、新しいタネを探す研究で、見つけたタネが様々な「応用研究」や、社会に役立つ技術の確立につながることを目標にしています。