「人と違う道」を選んで勝負をしてきた
京都大学理学部の物理学科に進学しようと思ったのは、特に何かを目指していたからというわけではありませんでした。数学と物理が得意だったので理系に進もうと思っていて、理系でレベルの高いところはどこかという理由で選びました。物理が好きなのは、世の中の現象がすべて数式で表現できることが楽しいなと感じたからです。学校や予備校の物理の授業も楽しかったですね。
一方で、文系科目は苦手でした。公文国際学園は帰国子女も多くて、英語ができる人が多かったんです。私はそんな同級生たちに対抗しようとは考えず、中2の頃から選択の授業で公文式フランス語を学び始めました。自分が身につけたフランス語の力をさらに伸ばしたいと、高校1年生の時にはフランスにホームステイにも行きました。これは学校のカリキュラムではなく、自分で勝手に行くことを決めたので、先生に頭を下げて回って期末試験を受けずに行ってきました。両親には「ホームステイに行きたい」と言うと、このときも何も反対せずに応援してくれました。
そして大学受験のときには、英語の代わりに外国語はフランス語を選択して受験しました。参考書も多少は使いましたが、ほとんど公文式フランス語教材で受験に対応できたと感じています。ただ、そうやって英語を避けてきたので、研究者の仕事をするようになってとても苦労しています。なにせ学会も論文も英語だらけですから……。
私の人生は、中学からフランス語を学んだり、大学から別の大学の大学院に移ったりと、人とは違った道を進んで勝負してきたところがあります。王道の道を進むと、すごい人は本当にすごいということに打ちのめされることがあります。たとえば、自分は子どもの頃算数が得意でしたが、いざ公文国際学園に進むと、数学オリンピックに出場できるレベルの生徒がいたりして、「どうがんばっても逆転できないな」と思うことがありました。
部活にラグビーを選んだのも、たとえばサッカーなら小学校からやっていて自分よりうまい人がたくさんいたのに対して、ラグビーならほとんどの生徒が中学からのスタートだったから。こういう「多くの人と違う道を進む」というポリシーは、研究者という仕事でも大切です。研究というのは何か人がやっていないことを探していかなければいけないですからね。
あこがれのヨーロッパの実験施設で転機が訪れ、
就職を決意
現在の分野の研究者になるきっかけは、まずは物理学に魅せられて京都大学の理学部物理学科に進学したことから始まります。そこでますます物理を面白く感じて、大学院に進学して研究者になろうと思いました。
では、どこの大学院に行こうかと考えたときに、そのまま京都大学の大学院に進むのではなく、東京大学の大学院に行こうと思いました。なぜかというと、ヨーロッパには世界で一番大きな加速器という粒子線を作る装置があって、その加速器で実験できるのは東京大学だということがわかったからです。
ところが、その東京大学大学院の在学中に転機が訪れました。もともとは博士課程まで進むつもりで、修士論文を提出し終わったあと、ヨーロッパにある世界で一番大きな加速器のところへ行き、実験の準備をしていました。すると、そこの研究員から「24歳から27歳までの間は、いろいろ学ぶのに重要な時期である。おまえは世の中のことがわかっていないから、社会に出たほうがいい」と言われてしまって……。その研究員は私が尊敬する方だったので、この人がそう言うならそうなんだろうと思って、修士2年の2月の終わりに就職活動しようと思い立ったんです。
でも、当然2月に就職活動をしてその年の4月から日本の会社に入社できるはずはありません。翌年の4月入社の就職活動だって、当時はもう終わりかけの状態だったんです。しかも、翌年3月末の時点で私は修士課程修了ではなくて博士課程1年ですから、新卒でもないんですよね。エントリーさえ受けつけていない会社がたくさんあったなかで、「加速器」に関わる研究を続けて世の中の役に立てる仕事があったのが日立製作所で、ご縁があってこちらに入社することになったというわけです。
もっと多くの人に装置を使ってもらえるよう研究を続ける
今回受賞した「動体追跡粒子線がん治療装置」は、私が日立製作所に入社してからずっと携わってきました。北海道大学と日立製作所の共同研究チームの中で、私が担当していたのは、粒子を腫瘍にあてたときに、どのようなエネルギーが当たっているかのシミュレーションをするという役割でした。
シミュレーションの結果によって、粒子線で一度に狙う範囲をどのくらいにするのかを決めます。狙う範囲が大きすぎれば、正常な部分にもダメージを与えてしまいますし、小さすぎると、何度も粒子線を打たないといけないので、治療の効率が悪くなるんです。だから、ちょうどよい範囲はどのくらいなのかを決めるのはとても大切です。
全国発明表彰で賞を取った後も、動体追跡粒子線がん治療装置の研究は続けています。次の課題は、この装置がもっと使いやすくなるようにすることです。この装置を使うときは、患者さんごとにどこに粒子線を当てたらよいのか、粒子線をどのくらいの深さにまで届けるのかを計算して決めなければいけません。いま私はその計算をするソフトを開発しています。
粒子線治療装置は国内に10数台しかなく、しかも動体追跡という機能がついているものは、現在は北海道大学にしかありません。ですから、この装置がもっと医療現場に普及してほしいというのが私の願いです。装置が小さくなり、安くなれば治療費も安くなって、皆がその治療を受けられるようになります。そんな状況を作れるよう、これからも努力を続けたいと思っています。
前編のインタビューから -全国発明表彰で恩賜発明賞を受賞した研究の内容とは? |