原点は「アユが獲れなくなってきた」という実体験
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私は小学5年生まで京都で育ちました。勉強はそっちのけで、野球やザリガニとりをしたり、秘密基地をつくったりと、遊びに夢中でした。今の子どもたちは知らないかもしれませんが、カードを地面において、自分のカードを投げて相手のカードをひっくり返すという、メンコ遊びが強いのが自慢でした。
小5の時、滋賀県に引っ越してさらに自然に触れる機会が増えたのが、今の私の原点になっていると思います。週末になると、妹と私は山好きな両親に連れられて、比良山や比叡山など、近くの山に登りました。川では、友達とアユを素手で獲っていましたね。禁漁時期でない時には自由に獲れたんです。私が引っ越してきたころは、まだずいぶん環境がよかったのでしょう。岩の下に手を入れるとアユがたくさん獲れました。友だちとスーパーのビニール袋にどっさり入れて持ち帰り、母に佃煮にしてもらいました。
ところが、それがだんだん獲れなくなっていきました。そこで竿を買ってもらい、一本釣りをするようになりました。それでも獲れなくなってきて、ついに投網(とあみ)を買ってもらいました。自己流で投げていると、大阪から来ていたアユを専門に獲る業者のおじさんが投げ方を教えてくれました。今でもインドネシアの先住民の村で、その特技を披露しています。
以前は素手で獲れたものが獲れなくなってきたことに、「環境が変わってきている」と子ども心に感じていました。この実体験が、環境や森林の研究をするようになった、今の研究生活の基盤になっている気がします。
小学校の時には、勉強らしい勉強は公文の教室に通っていたくらいです。実は、滋賀に引っ越したのを機に、母が公文の教室をはじめ、私も通うようになったんです。科目は算数・数学、国語、英語で、小5から中学1年生まで学習しました。特に算数は計算がかなり速くできるようになり、試験でも計算ミスはしなくなるなど、大変役に立ちました。計算が強いことで自信もつきましたね。また、集中力も公文の学習を通じて培われたと感じています。