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Vol.099 2023.10.27

外科医/フリーダイバー
横田太郎さん

<前編>

「中道」の精神をもって
やりたいことを一つひとつ大切に行えば
やがてが残っていく

外科医/フリーダイバー

横田 太郎 (よこた たろう)

1983年、熊本市出身。熊本大学医学部卒業後、北海道や福岡の病院に勤務し、外科医としての経験を積む。消化器系がんの治療法を研究するため、九州大学大学院臨床・腫瘍外科に再入学し、熊本大学大学院生命科学研究部腫瘍医学講座に国内留学している。大学院生の一方で、2020年よりフリーダイビングの競技者となる。2022年/2023年、AIDA世界選手権(プール個人戦)日本代表。2023年10月の台湾国際大会にて銀メダル2個、銅メダル1個獲得と日本記録を2つ樹立(種目:スタティック・アプネア、エンデュランス・アプネア 16×50m)。

大学院でがん治療の研究に打ち込む一方、どれだけ長く息を止めていられるかなどを競うフリーダイビングの競技者として、世界のトップを目指している横田太郎さん。
「外科医」と「アスリート」という、幼少期からのふたつの夢を実現させた横田さんは、「公文式学習との出合いがなければどちらにもなれていなかった」と打ち明けます。
医師を志したきっかけや、ふたつの夢の実現につながった独特の学習法、保護者の方へのメッセージなどについて、ユーモアを交えてお話いただきました。

目次

祖父のがん闘病をきっかけに外科医を志す

私は現在、外科医として専門性を高めるために、九州大学大学院臨床・腫瘍外科に在籍しており、熊本大学大学院生命科学研究部腫瘍医学講座に国内留学してがんに関わる研究に携わっています。すい臓や胆管など消化器系のがんの研究のかたわら、2020年からは自分の呼吸だけで水中を潜るスポーツ「フリーダイビング」の競技者としても活動しています。「外科医」と「アスリート」のデュアルキャリアを追求している最中です。

医師を志すきっかけとなったのは、中学生の頃。祖父にすい臓の腫瘍が見つかったのです。手術をして闘病中の祖父を見舞う時に、「どうすれば治るのか」と子どもながらに必死に考えて、主治医の先生に食ってかかるぐらいの勢いで質問していたことを覚えています。

そんな様子から、主治医の先生は「この子は将来外科医になるんじゃないか」と周囲に言われていたそうです。確かに以前から天才外科医を描いた漫画家・手塚治虫さんの『ブラック・ジャック』や人情派外科医が主人公の『Dr.クマひげ』などの漫画が好きでしたが、はっきりと外科医を目指すようになったのはこの時からです。

病院に勤めていた頃

医学部を卒業して外科医として臨床の現場に出てからも、「人情」というか医師としての内面を大切にしてきたつもりです。非常にやりがいを感じながら患者さんと接していたある時、祖父と同じすい臓がんの患者さんの手術を担当しました。手術は成功したものの、その後に再発が見られ、数カ月で亡くなってしまったのです。そのことをきっかけに、手術以外の治療の選択肢について考えるようになりました。

とはいっても、とくにすい臓がんは化学療法が効きづらく、適応にならないケースも多い。どれかひとつではなく、いろいろな治療法について研究して自分なりの答えを見つけたいという思いが強まっていきました。初心に立ち戻りたいという思いもあり、医師になって7年目に大学院生となり、博士課程に在籍しながらがんの研究をしているというわけです。

若手の頃勤めていた病院を辞める際、患者さんたちがメッセージを寄せ書きしてくれたことが忘れられない思い出です。まだ若く、医師としてのスキルは未熟だったため、自分はできるだけ患者さんと雑談して、一人ひとりの気持ちに寄り添うように心がけていました。患者さんたちから「いい先生になってください」というメッセージをいただいて、医師としてのスキルだけではなく内面を見ていてくれたんだとうれしく、とても励まされました。

「息止め」という独自の学習法を編み出した小学生時代

私は熊本市で生まれ育ちました。幼児期は物静かな子どもでしたが、文字を読み始めたのは早かったと聞いています。公文式を始めたのは4歳の頃。それまでにも幼児教室やいくつかの習い事をしていたそうですが、どれも続かなかったようです。

公文式を長く続けられたのは、一人ひとりの能力に応じた学習から始められるというメソッドが、自分にも親にも合っていたのだと思っています。実際に母は、私が公文を始めてからその教室のスタッフの先生になり、弟も含めて親子で教室通いをしていたぐらいです。

ところが、小学校に上がる頃には、毎日決められた枚数のプリントをこなすことを苦痛に感じるようになってしまって…。プリントをやらなければいけないというのがストレスでしたし、集中力を保つのも大変でした。そこで、独自に「息を止める間にきりのいい枚数のプリントを解く」というゲーム感覚のタイムトライアルを始めてみたんです。息を止めて1枚、2枚とプリントを解いていると、そのスピードがどんどん早くなるのが実感できました。

こうして自分なりの方法で小学校卒業まで毎日公文式を継続したことで、中高生になっても数学は得意科目で、全国模試の上位ランキングに名前が載ったこともありました。

毎日の実践の中で、集中力が上がって早く問題を解けるという学習面の効果だけでなく、息を止めていられる時間も徐々に長くなっていきました。今、私が競技者として取り組んでいるフリーダイビングは、「どれだけ息を止めていられるか」ということ自体、または、息を止めたまま「どこまで深く潜れるか」、「どれだけ遠くまで泳げるか」を競うスポーツです。

小学生の頃はもちろんフリーダイビングという競技の存在を知らず、当時夢中になっていたドッジボールのプロ選手になりたいと真剣に考えていました。医師より先に、「スポーツ選手」という夢があったのです。友だちと毎日、壁当て練習をするなど、「一番になること」を目標に毎日練習に励んでいました。

残念ながら、当時は身近で大会などが行われておらず、引っ越しを機にドッジボールからは離れてしまいましたが、今、外科医とアスリートという幼い頃からのふたつの夢の両方を叶えられているのは、コツコツ積み重ねてきた公文式学習の成果の賜物と言えるでしょう。公文に取り組んでいなければ、医師にもフリーダイビングの競技者にもなれていなかったと思います。

公文の教室は何より居心地が良かった記憶があります。勉強をしに行くだけでなく、教室に置いてあった本や漫画も、ノンフィクションを中心にたくさん読みました。中でも子ども心に鮮烈な印象を受けたのが、くもん出版の『まんが羽生善治物語』でした。

今でも覚えているのが、羽生九段が幼稚園生だった頃の公園の写生大会のエピソードです。他の園児がどんどん絵を描く中で、羽生九段だけは何も描かずにじっと景色を見ていた。しかしひとたび描くイメージが頭の中で固まると、それを一気に描きあげた、という話です。

まず全体像を思い描き、ゴールから逆算して全体の流れをあらかじめ考えて組み立てていくことは、将棋はもちろん、外科医の手術の現場でも重要なことです。公文で鍛えた計算力や論理的思考力が役に立っていると感じています。

フリーダイビングの競技者として

息を止めて公文のプリントを解くという独自の勉強法は、様々な場面で応用していました。例えば、学校の授業中に空腹でお腹が鳴って集中できない時に、ちょっと息を止めてみるんです。息をたくさん吸い込むと肺が膨らんでお腹が黙るし、集中力もアップします。

フリーダイビングでも、たくさん息を吸い込むことによって肺活量を増やすトレーニングがありますが、小さい頃から知らず知らずのうちに、そういう技術が身についていたのだろうと思います。中学生の頃、保健体育の先生が 「人間が息を止められる限界は1、2分だ」と言うので、実際に目の前で2分近く息を止めてみせて驚かれたこともありました。

近年、SNSの発達で、若者が限界まで息を止める「失神チャレンジ」などというゲームが問題になったりもしました。もちろんそんなことは軽はずみには絶対にしてはいけませんが、自分の場合、医師になってからも休憩などの合間時間に何気なく息を止めることは続けていました。すると、年齢を重ねても今なお息を止められる時間が少しずつ伸び続けていることに気づいたのです。

2022年度ブルガリア世界大会出場のとき

息を止める時間を競う競技があることを知ったのは、2015年のことでした。当時は外科医としての仕事に精一杯で、フリーダイビングという競技があることを認知しただけだったのですが、大学院生となった2020年に「PADIフリーダイビングカップ」という日本最大級の大会があることを知りました。

小さい頃にプロ選手を夢見て夢中になっていたドッジボールでは大会に出た経験もなくて、自分の中で消化不良のような感じが残っていたので、フリーダイビングの大会があるなら出てみたい、と率直に思い、これに出場したことをきっかけに、フリーダイビング競技を始めることになりました。

競技者としての技術も知識も身についていない状態でしたが、初めて挑んだ同大会のスタティック・アプネア(呼吸を止め、プールなどの流れがない水面に浮き、呼吸を止めている時間を競う種目)で6分以上の記録を出すことができました。当時の日本代表に選ばれる目安が5分以上だったので、自分でも競技者としてやっていけるんじゃないかという手応えを感じましたし、周りからも注目されたこともあり、世界大会を目指して本格的にやっていこうという気になりました。

これはもう、小学生時代に毎日継続して息を止めながら公文のプリントをやっていたおかげです。算数が非常に得意になったというのが主役の部分ではありますが、おまけとして、息止めの技術も上達していたんですよね。この「貯金」のおかげで、2022年度、2023年度のフリーダイビング世界選手権(AIDA主催)には日本代表として出場できるまでになりました。

後編を読む

 


 

 

後編のインタビューから

-仏教の「中道」の精神でその時々のベストな道を選ぶ
-40歳、外科医、アスリートとして、まだまだ伸びていける
-あまり突き詰めて考えないことが結果につながることもある

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