学問へと導かれたのは、人の「本当の姿」にふれた感動から
中学高校と勉強はまったくした記憶がありません。高校になると、成績は学年でビリから3番目、模試での偏差値は30台でした。数学はとくに苦手で、定期試験はいつも0点。授業中は自然といつも寝ていたのですが、あるとき数学の先生に呼び出されたんです。「おれの授業がきらいなのも、数学がきらいなのもいい。でも、おれは別にお前がきらいじゃない。ただ、お前に見せたいものがあるから、こんどの週末、ここに来い」。そう言って、1枚のチケットを手渡してくれました。
何だろうと首を傾げつつ行ってみると、その先生の絵の個展だったんです。先生は「おれは昔、画家になりたかった。もちろん教師も好きでやっているが、いまでも画家になる夢はなくしてなくて、こうして絵を描くことはやめられない。夢をもつのは面白い。やるべきことも、やりたいことも両方やればいいんだ」。ポツポツとそう話してくれました。先生がいつもの先生とは違う「本当の姿」を見せてくれた瞬間から、ぼくはその先生を尊敬しました。それまでやろうと思わなかった受験勉強も数学も、ちゃんとやろうと思うきっかけになる出来事でしたね。
ただ、そう思うようになっても学力はどん底で、大学に対する憧れや「これを学びたい!」という目標もなかった。それで、就職が有利らしいという理由だけで理系の大学を受けることにしたんです。10校くらい受験して、結果は全滅。どこかには受かると思っていたので、世の中そんなに甘くない、とショックを受けました。もちろん、いまふり返れば、あたり前の結果ですが。
そのあとは浪人生活ですが、ここでも大きな転機がありました。予備校の発生生物学の授業のときのことです。精子が…卵子が…受精して…細胞分裂して…やがて人間の身体ができあがる…というプロセスの説明をした最後に、先生がチョークを置いて。「これ、わかっていることみたいに教科書に書いてあって、わたしもそう話しているけれど、本当はなぜこうなるのかは、ほとんどわかっていないんだ」と言ったんです。エッ!と驚きました。
そのとき初めてぼくは、「世の中、本当はわかっていないことが多い」という事実を知った。これはとても大きな転機でした。それ以来、生命科学や自然科学の世界にとても惹かれるようになりました。そして、日本で初めて生命科学部を創設した東京薬科大学に憧れ、受験して無事合格。そこで出会った先生方にも「学問」に対する興味をますます刺激され、大学院は東京大学に進むことになりました。