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Vol.016 2014.12.19

フリーアナウンサー 木佐彩子さん

<後編>

「夢」「成功」のかたちは人それぞれ
小さな自己実現の積み重ねが
大きな夢へとつながる

フリーアナウンサー

木佐 彩子 (きさ あやこ)

父親の転勤にともない小学2年から7年間を米国ロサンゼルスで過ごす。青山学院大学を卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。2000年に東京ヤクルトスワローズ所属の石井一久投手(当時)と結婚。その後、石井投手のMLBロサンゼルス・ドジャースに移籍の際には家族で再渡米。現在はフリーアナウンサーとしてテレビ番組やCMを中心に活躍中。

アナウンサーとしてこれまで数多くの番組に関わりながら、いつも親しみやすい笑顔とポジティブなイメージで活躍を続ける木佐彩子さん。日本とアメリカ、ふたつの国で暮らしていたからこそ見えてきた、自分らしい生き方とは?

目次

    正しい知識の土台が、夢の実現を支えてくれる

    フリーアナウンサー 木佐彩子さん

    アナウンサーをめざすきっかけは、小4のときにアメリカのニュース番組でコニー・チャンさんという女性キャスターを見たことです。ニュースキャスターの安藤優子さんにもあこがれました。凛とした空気をまといながらニュースを伝える安藤さんは、キラキラととても輝いて見えました。それが同じアジア人として、日本人として誇らしかったです。

    とはいえ、アナウンサーになりたいという思いはあっても、帰国子女ということもあり、日本語に対するコンプレックスがありました。中2のときに日本にもどってきてから、母に勧められて公文の教室に通っていたんですよ。小さい子たちといっしょに一所懸命、国語のプリントをやりました。たまにでしたが、「中学生なのにまだそんなとこやってんの?」という、小学生の男の子のちょっとトゲのあるカワイイ声援も受けながら(笑)。でも、そこで日本語の基礎をあらためて学んで本当に良かったと思っています。

    考えてみると、アナウンサーとして入社できたことは奇跡的ですが、アナウンサーになってからも日本語へのコンプレックスは少なからずありました。ただ、日本語がほかのアナウンサーのレベルに達していないという自覚は、この職業を続けていくうえでは、良い方向にも働きました。言葉ひとつひとつの意味をつねに意識して、読んだり書いたりするようになりましたから。意味がよくわからない言葉を集めたノートを作って、言葉の意味や使い方や語源などをこまめに調べるようにもなりました。

    言葉の意味を調べるときもなりふりかまわずでしたね。アナウンス用のたくさんの資料や原稿といっしょに、子ども向けの四字熟語の本や漢字ノートが並ぶ私の机は、当時の先輩方から「小学生の学習机」って呼ばれていたくらい(笑)。しかし、テレビのニュースでは、どんなにむずかしい内容や事象もわかりやすい言葉で伝える必要があります。その点では日本語を「わかったつもり」にならずに、いつも真正面から真摯に向き合えたことはとても良かったと思うんです。

    いまの時代は何でもネットで調べられるし、それでわかったつもりになりがちなことが多いのかもしれません。さらに、そのなかには誤った情報もたくさんあるので、それを判断できる力が大切ですね。その判断力を支えるのは、正しい知識の土台だと思います。だからこそ、学びつづけることが必要なのだと思います。とくに子どもたちには、自分の夢の実現のためにも、そのことを知ってほしいと思っています。どんなに素敵な家も土台がしっかりしていなければ建てられないのですから。

    木佐さんが考えるよいアナウンサーの役割とは?

    視聴者の求めている「いい質問」ができるアナウンサーに

    フリーアナウンサー 木佐彩子さん

    意外に思われるかもしれませんが、アナウンサーにはかなりの体力が必要です。体育会系で体力勝負という面もあって、実は相当にハードな仕事です。私が新人のころは、お茶くみ、経理、新聞配り、そして先輩アナウンサーへのファンレターの仕分けとか(笑)、アナウンス以外の仕事も山ほどありました。体力的にもたいへんでしたけど、それらをこなすことで社会人としての自覚が芽生えた気がします。

    テレビの前の視聴者の方には1時間、60分の番組であっても、その前後にテレビには映らないたくさんの仕事があります。深夜までリサーチをする人、徹夜でVTRを作る人、大きな事件が起きて寝食を忘れて取材する人……さまざまな人の努力や苦労があります。アナウンサーは最後の最後に、映像と言葉で情報をお届けするのが仕事。だから私は、視聴者の方と彼ら制作陣とをつなぐのがアナウンサーの役割だと思っています。

    ときには時間がなくなって、制作陣が苦労して作ったVTRのうちの何本かがオンエアできないときもあります。その判断を私がするのですが、その判断が適切だったとわかってもらうためには、私自身が制作の現場ときちんと向き合っていなければなりません。信頼関係も大切です。そのためには、やはり毎日が学びです。制作現場と同じレベルの知識をと思うのですが、なかなかそうはいかないのが実状ですけれど……。

    私自身がインタビュー取材をするときもあります。「いい質問」ができるように、かなり入念な準備をして臨みます。「いい質問」というのは、引き出したコメントのなかに、視聴者が真に知りたい情報が入っているものだと思います。「いい質問」のためには、取材対象者をリサーチしたり、事件の背景や経緯を調べたり、それらをベースに今後の予測などもしたりと、いくつもの準備をします。それを怠ると、何がわからないかすらわかりません。インタビューに正解はありませんが、貴重なコメントや情報を引き出せたときは「この仕事をやっていて本当によかった」としみじみ思います。

    日本人としてのアイデンティティを気づかされたアメリカの友人の言葉とは?

    「今の自分が好き」と言えるようになりたい

    フリーアナウンサー 木佐彩子さん

    アナウンサーへのあこがれは小学生くらいからありましたが、「将来、絶対アナウンサーになる!」と強く思っていたわけではなく、目の前のことをひとつずつ乗り越えていったら今の職業があった……という感じでしょうか。もちろん、なってよかったと思っていますし、自分の人生をかけるにふさわしい仕事だと思っています。

    夢というレベルではないかもしれませんし、まだ漠然としていますが、いま考えているのは、日本のことを世界の人たちにきちんと知ってほしいということ。日本とアメリカ、その両方で暮らしてきたからこそ余計そう思うのかもしれませんが、日本や日本的なものに対して、とても強く愛おしさを感じるようになっています。

    そう思いはじめた最初のきっかけは、中学2年で帰国するとき、アメリカの友人から言われた一言。「彩、日本に帰ったらテレビあるの?」「ちょっと待って! あなたが見ているテレビはメイド・イン・ジャパンでしょ」(笑)と思わず返しました。アメリカの人たちは、「We are No.1!」で、いいものはぜんぶアメリカ製と考える人が多いと思います。

    それまでは自分もアメリカ人になったような気持ちでいましたが、「正しく日本を伝えたい!」と、そこで初めて日本人としてのアイデンティティに気づかされました。どういう形になるかはわかりませんが、日本のいいところを海外にたくさん発信していく仕事をしたいと思い続けています。これが、夢といえば夢なのでしょうか。

    日本人はがんばりやで謙虚という気質がある一方、周囲と比べすぎるという面も合わせもっています。ほかの人と比べて「私の夢なんか…」と落ち込んでしまうことも少なくないように思います。けれども、「夢」や「成功」のレベルや大きさっていうのは、本当は人それぞれなんですよね。

    人生は一度きり。誰かと比べて落ち込んでいるより、自分の物差しで生きていくほうが絶対に人生は楽しいと思うんです。「自分に自信をもつ」のもいいですが、「今の自分が好き」と思えるような。小さな自己実現の積み重ねが、大きな夢、あるいは大きな成果へとつながるのではないでしょうか。


    フリーアナウンサー 木佐彩子さん  

    前編のインタビューから

    – 小2で渡米。日本人がひとりもいない、会話もできないという学校に通うことになり…
    – 木佐さんが子どもながらに感じたアメリカと日本の違いとは?
    – 「祖母のようなやさしさや奥ゆかしさを忘れないでいたい」

     
     

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