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Vol.042 2017.03.10

フリーアナウンサー
山本ミッシェールのぞみさん

<前編>

与えられたチャンスには
心を開いて応えることで
世界はもっと広がっていく

フリーアナウンサー

山本ミッシェールのぞみ (やまもとミッシェールのぞみ)

父親の仕事の関係で、アメリカで生まれ、イギリス、日本、フランス、ドイツで過ごす。筑波大学比較文化学類比較文学を卒業後、NHKに入局。京都局の記者を経て、退職後はフリーアナウンサーに。現在は、NHK国際放送局のキャスターをはじめ、数々の国際会議のバイリンガルMCのほか、非常勤講師としても大学や企業で英語やコミュニケーション学を教える。公文式はアメリカ在住時に学習。

幼い頃から複数の国で過ごし、その国の言語や文化を直接肌で感じながら学んできた山本ミッシェールのぞみさん。現在はフリーアナウンサーとして、「日本文化を伝える」ことを使命に感じながらお仕事に取り組まれているそうです。そしてその原点には、意外にも「人見知りで臆病な少女時代の自分」にあったと言います。

目次

    「伝える仕事」をしている今とは対照的に
    引っ込み思案だった少女時代

    山本ミッシェールのぞみさん

    私は現在、NHK国際放送局のキャスターとして、200を超える国と地域に日本のニュースや伝統文化についてお届けしている他、科学番組の担当もしています。番組を通じてiPS細胞の山中伸弥先生やニュートリノ研究の梶田隆章先生など、ノーベル賞を受賞された先生方の独占インタビューをさせていただく貴重な機会もありました。

    また、NHKのラジオ日本語講座では、ラジオやインターネットを通して日本語を学ぶ世界中の方々に無料で使える教材をお届けしているのですが、その番組のナビゲーターも私が大切にしている仕事のひとつです。時々、外国人留学生など「あの教材で勉強をしていました!」という方々にお会いすると、感動します。また民放のラジオ番組では、日本を訪れる外国人も増えてくる中、日本の方々にも海外の風習などを知っていただきたくて、ちょっと人に伝えたくなるような海外の豆知識を織り交ぜたコーナーを担当しています。このコーナーは2年目に入りますが、毎回テーマを考えるのがとても楽しみな番組でもあります。そのほかには、翻訳やナレーター、そして大学の講師など、ありがたいことにたくさんの「伝える仕事」をさせていただいています。

    でも、私はもともと引っ込み思案で、人と話すのはあまり得意ではありませんでした。今でもすごく覚えているのが、イギリス北部のスコットランドに引っ越したばかりの6歳の頃のことです。ある日一人で風船で遊んでいたら、地元の子どもが私に何かを話しかけてきてくれたのですが、その頃まだちゃんと英語が話せなかった私には、その子が何を言っているのかわからなくて怖くなり、パっと家に逃げ帰ってしまったんです。

    このときのことは、あとになってとても後悔しました。当時その街は、日本人がほとんどいないような場所だったので、きっとその子もすごく勇気を出して話しかけてくれたのだと思います。だけど私はその勇気に応えることができなかった……。もう二度とそういうことをしてはいけないと思ったのが、引っ込み思案を直そうと思ったきっかけのひとつです。

    山本さんが自信を回復したきっかけとは?

    自信を取り戻して楽しくなった学校生活

    山本ミッシェールのぞみさん

    私の子ども時代は父の仕事の関係で、海外での引っ越しはしょっちゅうでした。そして、赴任地に着いたら現地の学校にポンと放り込まれる。それをくり返してきたおかげでだいぶたくましくなりました。

    でもじつは一度、小学校4年生の頃に海外から日本に帰ってきたとき、学校の勉強についていけなくなったことがありました。言語も違う、勉強の進み方も違う、算数の解き方もまるっきり違う……。悲しい半年間でした。その後、転勤でアメリカに引っ越し、出会ったのが公文でした。問題をくり返し解くことで、みるみる学力が身につき、自信を取り戻しました。

    当時、アメリカで私が通った小学校はその地域の実験校で、その子の得意分野を伸ばすことにとても積極的な学校でした。公文を始めて自信もつき、勉強が学校生活が楽しくなっていた私は、レベルの一番高いクラスに振り分けられ、さらに勉強が楽しくなりました。

    複数の言語を使いこなす山本さん流の外国語の習得法とは?

    言語習得のヒントは公文式にあった!?

    山本ミッシェールのぞみさん

    小学校6年生からはフランスに引っ越しました。そこではまたアメリカの学校生活とは全く違う女子校で、しかも規律の厳しいミッションスクールに編入し、今度はフランス語を一から学ぶことになりました。

    しかし、そういう生活の中で決めていたことがあります。それは、「現地の言葉は1か月で喋れるようになろう」、「学校の勉強は2か月でみんなと同じくらいにできるようになろう」ということでした。

    その頃、身につけていたのは言語習得の技でした!海外での引っ越しをくり返すうちに、小さいながらにどうすれば一番効率よくその国の言語を覚えられて、友だちができるかを考えるようになりました。そこでもじつは公文式もヒントになりました。多くの場合、人は勉強をするとき、難しいところに手を出してしまいがちですが、逆に、自分が興味ありそうな会話が載っている、一番うすい本を買って、それをとにかくくり返し読むようにしました。

    全部のページを暗記するくらいの気持ちで文を何度も読み返して、そしてそれをすぐに使ってお友だちに話しかけてみる。覚えては使うことをくり返して、その精度をどんどん高めていくんです。そのうちに、「この文のここを置き換えると、もうちょっと会話に幅が出る」とか、「この言葉を足すともっと長く喋れるようになる」と分かってくるようになりました。

    また、通っていた学校では教科書をあまり使わず、先生が「ここからディクテ!」と言うと、先生が音読することをどんどんノートに書いていく、いわば自分で自分の教科書を作るような学び方でした。フランスでは、このような書き取りのことを「ディクテ」といいます。なので、フランス語ができないと本当に授業についていけない。そこでは、今までとは違う勉強法を叩き込まれました。

    その学校で一番面白かったのは歴史の授業でした。学校があったのは、歴史的建造物がたくさんある街でした。先生が、「じゃあ今日は街へ行きましょう」と言って、「この建築がルネサンス様式ですね、そしてこれがゴシック…」と作られた背景や面白い話も交えながら教えてくれる。記憶に残る忘れられない授業でした。子どもの頃に色々な国で色々な勉強法に触れることができたのは、間違いなく私の財産になっていると思います。

    後編を読む

    関連リンク株式会社メリディアンプロモーション


    山本ミッシェールのぞみさん 

    後編のインタビューから

    -小さい頃からお父さまにずっと言われていたこととは?
    -メディアの仕事へ進むことになった経緯
    -山本さんのポリシーといつも心に持っている言葉とは?

    後編を読む

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