アルファベットも知らないまま小学2年で渡米

私は父親の海外勤務で、小学2年から中学2年までアメリカで暮らしていました。いまでは小学生から英語を学ぶのはめずらしくありませんが、当時の私はアルファベットも知らない状態でいきなり渡米。「アメリカに行ったら金髪になっちゃう……」(笑)って親に泣いて訴えていたくらい、アメリカも含め、外国の知識なんてまるでありませんでした。
いまのお母さんたちならインターネットを駆使して、「ここの学校なら英語が分からない子でも入れるクラスがある」とか、事前にいろいろ情報を集めていると思いますが、そのころはそれを調べる術もなかったのでしょうね。あたり前のように会社の前任者のご家族が住んでいた家に住み、近所の公立の学校に入学して……。ところが、学校へ行ってみたら日本人なんてひとりもいない! それから、もうたいへんでした。
ふり返ってみれば、たいへんだったのは半年くらいでした。でも、その半年間はもっともっと長い期間に感じられました。毎週、水曜日くらいになるときまってお腹が痛くなり、学校にいきたくないなぁという気持ちが募っていました。それでも、子どもながらに「これではいけない」と木曜金曜は何とかがんばって、土日を迎え、ホッとして自分をとりもどすという日々でした。
いまは私自身も含め、親が手をかけすぎる傾向があるように感じます。けれど、子どもって基本的にたくましいものだと思います。当時の私も、学校で自分の気持ちが伝わらなかったりするのが重なると、泣きながら家に帰ったりしていましたが、いまはこうして元気にそのころのことが話せますし(笑)。それに、少々の失敗やトラブルがあっても、それさえも子どもなりに乗り越えようとするんですね。親は横で見ていて、必要なだけの手助けをすればいいと思っています。でも、実際には自分でもなかなかできないのですが(笑)。
アメリカに行ってしばらくは、カワイイ「心のよりどころ」がありましたね。私のすぐ下の学年に日系人の子がいたんです。その子が日本語をしゃべれるかどうかも知らないのに、学校で不安なことがあると、その子のクラスの前に行ってガラス越しに見る。何かあったらこの子に話せば、カタコトの日本語でも分かってもらえるんじゃないかなって。それが自分の「お守り」みたいになっていました。