子どものころから「人生は修行だ」と思い続けていた
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私はマジメでコツコツ勉強してはきましたが、子どものころからお医者さんになりたいと思っていた訳ではありません。進路に悩んでいた高校時代、父に「ライセンスがある仕事がいいのでは?」と言われて、そこから医学部を目指すことにしました。あまり言われたことはありませんでしたが、父は私を医師にさせたかったのでしょう。
父はいくつになっても最先端の技術を学ぶなど勉強熱心で、母も50代から英語を独学し、単身で海外へ行くような活力ある人。でもそんな両親から私は一度もほめてもらったと感じることがなく、毎日楽しいと思うことも出来ず、「人生は修行だ」と思っていました。ですから大人になり、友人が「小学校のころは楽しかったよね」などと話しているのを聞いて、心底びっくりしました。ほかの人は「人生は楽しい」と思っていたのか!……と。
私は医学部時代に「将来は実家を継ぐ」と決めたので、それまではやりたいことをやろうと、卒業後はいろいろな医療現場へ行きました。沖縄・石垣島の診療所でも働き、離島や無医村地区にも通いました。沖縄はのんびりしていると思ったら、観光地の竹富島などは島民が観光客に合わせた生活をしているので、船がつく合間に診察や投薬をせねばならず、ものすごく忙しい。実際に現場に行かないとわからないものですね。
大阪へ戻った後は、元いたクリニックの系列病院のホスピタルドクターになりました。クリニックと病院とでは、やるべきことや知識が違うので戸惑いました。褥瘡(じょくそう)を学ぶなど得られた経験もありましたが、「介護保険制度についてなど、もっと別の事を学びたい」と感じ、1年半で介護老人保健施設(老健施設)に移りました。
在宅復帰を目標とした老健では、数ヵ月間入所して医師や看護師は個人の状態や目標にあわせたプログラムを提供します。身体の状態を「点」で見ている通院に対し、老健では「線」で見られます。介護保険制度も学べますし、老健での経験は今後自分のクリニックで在宅医療をするときに役立つと考えました。
老健に移る直前に学習療法に出合ったわけですが、じつはそれまでは認知症にそれほど関心があったわけではありません。ですが、そこでたくさんの認知症の方と触れ合い、開院したら「そうした方の役に立つ診療所にしたい」との思いが募りました。ここでの経験が、私のライフワーク「認知症の方の生活の質を上げること」「そのためのひとつの方法として学習療法を実施、普及すること」を作ってくれたのです。