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Vol.029 2016.02.19

昔話研究者 小澤俊夫先生

<前編>

子どもには自ら育つ力がある
昔話に込められたメッセージ
を傾けてみよう

昔話研究者

小澤 俊夫 (おざわ としお)

1930年中国・長春生まれ。口承文芸学者。東北薬科大学助教授を経て、日本女子大学教授、独マールブルク大学客員教授、筑波大学副学長、白百合女子大学教授を歴任。現在は、筑波大学名誉教授。国際口承文芸学会副会長及び日本口承文芸学会会長も務めた。1992年より「昔ばなし大学」を開講、1998年には季刊誌『子どもと昔話』を刊行。おもな著書は『昔話の語法』(福音館書店)、『グリム童話を読む』(岩波書店)、絵本「子どもとよむ日本の昔ばなし」シリーズ全30巻(くもん出版)ほか。「日本昔ばなし」シリーズの第5巻『うらしまたろう』(くもん出版)を2016年4月に刊行予定。

グリム童話の研究に始まり、日本の昔話研究の第一人者として、精力的に活動されている小澤俊夫先生。長年大学で教鞭を執られた後、若手研究者の育成や「昔ばなし大学」の開講を通じ、昔話の本来の姿を伝えています。日本の昔話を研究するきっかけとなった柳田國男氏との出会いや、ご両親のこと、そして昔話が教えてくれる大切なメッセージなどについてお話しいただきました。

目次

昔話は音楽と同じ
リズムの楽しさを壊してはいけない

昔話研究者 小澤俊夫先生

みなさんは「昔話」というと、何をイメージしますか。昔話は、口で伝えられてきたお話です。口で伝えられてきたということは、「耳で聞いて」伝えられてきたということ。聞き終ったら消えてしまう、聞いている間だけのもので、音楽と同じ「時間にのった文芸」なのです。

昔話は同じ場面が出てきたら同じ言葉で繰り返します。これも音楽と同じです。しかも繰り返しはだいたい3回。たとえばグリム童話の『白雪姫』は、1度目は紐で、2度目は櫛で、3度目は林檎で殺されます。アニメや映画では林檎だけなので、ご存じない人もいるかもしれませんが、じつは3回殺されているのです。

音楽も、同じメロディを2回繰り返します。そして3回目は少し長く、一番強調されています。つまり3回目が一番大事だということです。これが音楽の基本的なリズムで、このリズムは昔話にもあります。白雪姫も林檎のシーンが一番長いでしょう。ホップ、ステップ、ジャンプという陸上競技のリズムも同じです。人間にとって、このリズムが一番自然だからです。

このリズムは、子どもだけでなく、大人にとっても心地よいもの。そしてその楽しさを壊さないことが大事です。けれども残念なことに、昔話に関しては、たくさん本が出ていたり映画にもなったりしていますが、3つのリズムの前の2つを省略してしまうなど、本来の昔話の「語り口」から離れてしまっているものが多いように感じます。そのことに気づいてもらい、「語り口」がきちんとしている文章を選んでほしいし、さらにそう指導できる人を日本中に広げたい。そんな思いから、全国各地で開く「昔ばなし大学」に、いま力を入れているところです。

敗戦を迎えて父が言った言葉とは?

「涙を知るのはいいことだ」
敗戦を迎えて父が言った言葉は忘れられない

昔話研究者 小澤俊夫先生

ぼくは満州事変が起こる1年前、昭和5年に満州で生まれ、小学5年生までを北京で過ごしました。とにかくわんぱくで、悪さばかりしていましたね。当時暮らしていた中国の家は、隣家と屋根がつながっていて、屋根から屋根へひょいと伝い歩けるので、屋根伝いにどこまでも行ったりして。

父は満州で歯科医をしていましたが、その後政治団体に関わるようになります。昭和15年頃になると、父は「この戦争は勝てない」と言い出します。政治評論集を作り、軍部批判をしていたので、軍部からは睨まれ、自宅には毎日憲兵が来て監視されていました。

翌年には父以外の家族が日本へ戻り、その2年後には父も日本へ。東京の立川に住みましたが、そこにも今度は特高警察が毎日来る。それでも父は国のことを憂いて平気で軍部批判をするので、いつ捕まるかとヒヤヒヤする日々を過ごしました。

ところが結局そのまま終戦を迎えましたが、その後父が亡くなったとき、特高として監視していた方から、ていねいなお悔やみの手紙をいただいたのには驚きました。そうした方たちも、父が憂国をもって信念を貫く姿を、じつは慕っていたのかもしれません。そしてぼくも、こうした父の姿に大きな影響を受けたのは言うまでもありません。

父が敗戦直後には、「この敗戦は日本にとっていいことだ。日本は日清戦争以来、負けていないから涙を忘れてしまった。これで涙を知るのはいいことだ」と言ったのも忘れられません。そして、ぼくら子どもたちには、「お前たち、好きなことをやれ」と言いました。

母はクリスチャンで、ぼくらも教会の日曜学校に通い、賛美歌を習いました。それが我が家の音楽との付き合いの始まりでした。すぐ下の弟(=小澤征爾氏)は指揮者になりましたが、ぼくも音楽が大好きになり、コーラスは今も現役で続けています。

小澤先生が昔話の研究を始めたきっかけとは?

柳田國男先生の一言で、
日本の昔話の研究を始める

昔話研究者 小澤俊夫先生

音楽と同じくらい好きだったのが文学です。なかでも、医師であり神学者、音楽家でもあるシュヴァイツァーに心酔し、関連図書をたくさん読みました。そのうち原書で読みたくなり、ドイツ語を学ぼうと、ドイツ文学者の関泰祐(せきたいすけ)先生が在職されていた茨城大学へ進学しました。

2年目に、二人の先生がドイツ語の教科書としてそれぞれ「ふしぎなオルガン」と「グリム童話」を読んでくれたときに気がついたのですが、同じドイツのメルヒェンなのに何か違う。先生に質問すると、「グリムは昔話だから」と言うのです。それまでぼくは、グリム童話はグリムの創作だと思っていたので驚きました。そして昔話なら民族の考えや風習などが読み取れるのでは、と興味がわき、研究することにしました。

大学の図書館からグリム童話の原書を借り、辞書を引きながら読むと、がぜんおもしろい。衝撃的だったのが、日本の昔話と同じ話を2つ見つけたことです。1つは「たいこたたき」で、これは「天の羽衣」。もう1つは「コベルスさん」で、これは「さるかに合戦」と同じストーリーです。なぜこういうことが起きるのか。この時にグリムを卒論にしようと決めました。

研究を続けたくて東北大学大学院へ進み、修士論文を書いている時のこと、ドイツのある専門雑誌で調べたいことが出てきました。その雑誌は、日本民俗学の創始者である柳田國男先生の研究所にしかないことがわかり、ドキドキしながら訪問し、雑誌を見させていただきました。帰り際に柳田先生から、「何を研究しているのか」ときかれ、ものすごく緊張しながら答えました。ぼくが話し出すと、先生は「ちょっと待って」と、なんとぼくの言ったことをノートし始めたのです。こっちはまだ20代で駆け出しもいいところ。かたや80歳を越えられた先生は神様のような存在です!年齢差は関係なく、知らないことは全部吸収しようとする姿勢に、「学者とはこういうものか」と、感動しました。

ぼくは勉強したばかりだったので、うれしくていろいろ話しました。そしてお暇しようとすると先生が「きみ、グリム童話をやるなら、日本の昔話もやってくれたまえ」とおっしゃった。「そうか、ぼくは日本人なのだから、日本の昔話も研究しなくちゃ」と、その時に決めました。

柳田先生は、戦後の日本の昔話の状況をとても心配されていたのです。というのも、「昔話は無知な農民がつくったものだから、もっと文学的なものにしなければ」というブームが起こった結果、話の内容が変わったり、過剰な装飾が施されたりして、本来の昔話の姿ではないものが流布してしまっていたからなのです。

関連リンク 小澤昔ばなし研究所


昔話研究者 小澤俊夫先生  

後編のインタビューから

-研究者になるために決意した3つのこと
-昔話が語っていることとは?
-子育て中の親御さんへのメッセージ

 

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