教科書の丸暗記で英語が得意に認められるとうれしくて、さらにがんばった

小さいころの私は、からだが小さくて病弱でした。かといって勉強ができるわけでもない。そんな子がどうやって英語を話せるようになり、世界を飛び回るようになったのか不思議に思うでしょう?何しろ英語の成績も底辺をさまよっていましたから。他の教科も先生からまともに相手をしてもらえないほどでした。
ただ戦後、ある先生からノーベル賞の存在を教えられ、そのスケールの大きさに感動して、友人と「どちらが先にノーベル賞をもらうか」なんて会話をしていたことが、勉強ができないながらも高等教育を受けたい動機づけになっていたように思います。
そんな私が高校で希望の大学を書かされたときに、「ハーバード大学」「ケンブリッジ大学」など、世界の名だたる名門大学の名を書いて、先生にかんかんに怒られたことがあります。底辺の生徒がそんなことを書いたので、冗談にもほどがあると思われたのでしょう。
ただ、そこでハーバード大などの名前を出したからには、せめて英語くらいは成績を上げないと、と本気になって中学1年から3年までの英語の教科書を丸暗記して勉強するようになりました。参考書も塾もない当時、手にとれるのは教科書しかなかったんです。それで英語力が伸び、その後の私の人生を左右することになりました。
もうひとつ、勉強することで先生に質問ができるようになり、「勉強しているんだね」と言われたのが励みになったことも、伸びる要因だったと思います。その一言で認められた気になり、「よし、次は先生がわからないことを質問しよう」と、いろいろ考えるようになりました。
こうして英語力を身につけ、私は国際基督教大学(ICU)の第一期生として入学することになりました。ICUに進学したのは、高校3年生のとき「国際性を身につけ、幅広い教養をつくりだす教育。明日の大学」という同校の紹介記事を読み、ノーベル賞のような国際的に大きな夢を描ける大学を探していた自分にぴったりだと思ったからです。
大学在学中には仲間と地域の子どもたちの勉強をサポートするボランティア活動をはじめ、それを機に、教育への興味が膨らみました。教育は人間を成長させ、よい教育を受けた心の豊かな人が、平和で民主的な社会をつくる原動力になっていく、ということに気づいたのです。
同時期には、ユネスコに加盟した日本が、積極的にユネスコの活動を実施している様子が連日報道されていました。当時ユネスコは、「平和な世界を築くにはお互いが理解することが大事で、それを教育で広めていく」ことを推進していました。そのとき私のなかで、これまでの漠然とした将来への思いがつながって「ユネスコで働きたい!」という具体的な夢になったのです。ただ、どうしたらそれを実現できるかはわからず、まずは大学院へ進み、ユネスコの活動に関連することを学ぶことにしました。