念願のパリ本部へ忘れられないパレスチナでのできごと

「マンガの登場人物に見られる人種偏見」という論文を書いて大学院を卒業した私は、教授の勧めで文部省(いまの文部科学省)のなかに置かれた、日本ユネスコ国内委員会の事務局に応募して、採用されました。
しかし、私の夢はあくまでもパリの本部で働くこと。その実現を夢見て一生懸命働き、1年ほどたったころ、チャンスが来ました。日本で開催したセミナーにユネスコ本部の担当者が来日し、私が通訳をすることになったのです。無事役目を終えたとき、その担当者に私がパリ本部で働きたい思いを打ち明けたら、しばらくして連絡がきて、本部の教育局アジア課に勤められることになったのです。
ここでは、さまざまな国籍、さまざまな人種の職員が働き、英語、フランス語、スペイン語などが飛びかっていました。そうしたなか、私は教育局のたったひとりの日本人職員として、仕事を始めることになったのです。
正直なところ、私の英語力はそれほど高いレベルではありませんでした。ただ私自身の経験からいえば、大事なのは外国語を使うとき、けっして難しい単語や言葉を使おうとしないこと。やさしい言葉を組み合わせて自分が自信をもって話をするほうが、相手には伝わると思います。
ユネスコでは、さまざまな国で多岐にわたる仕事をしましたが、なかでも印象に残っているのが、パレスチナで試験監督をしたときのことです。イスラエル国内に住むパレスチナ人難民の子どもたちは、高等教育を受ける機会がありませんでした。そこで、ユネスコはイスラエル政府から、高等学校の卒業試験(バカロレア)に合格すれば、イスラエルを出てアラブ諸国の大学に行ける、という約束を取りつけたのです。
そのような背景で実施された試験、その試験場でのカンニング事件は忘れられません。もちろん、カンニングは悪いことです。しかし、民族対立が続き、不自由な環境下にいるパレスチナ人にとって、試験に合格することは、単に個人が大学で学ぶ資格を得るだけでなく、家族みんなが人間らしい生活を得るための唯一の希望でもあったのです。自分たちの運命を決める試験に合格するために、必死に行われた行為でした。私はカンニングをとがめませんでした。それが正しかったのかどうか、今でも答えは出せません。
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後編のインタビューから
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-千葉先生が考える「グローバル人材」とは?
-「学び」とは、新しいことを吸収しながら自分の考え方をもう一度考え直すこと