ひとつでもいいから、昨日と違う新しいことを学びたい

2006年ごろから、それまでの環境のなかで自分ができることの限界を感じ、方向を変えてみることにしました。22年間勤めた大学病院を辞め、今の病院へと職場を変え、小児科を新設していただきました。今の病院は大学から近く、赤ちゃんのころから時をともにした子どもたちとご家族、仲間とつながっていることも幸せでした。2007年には周産期センターを開設していただき、そこで新生児医療に携わりながら、病院の外で活動する時間を増やしていただきました。病院のなかだけでできることは限られています。隣接地に看護学校もでき、助産科が併設され、助産院もできました。理解ある上司に恵まれ、これから先は、もっとできることが増えるように努力していきたいです。
これまでの診療経験から、社会の変化とともに、子どもたちが生きにくい時代になったように感じ、生きづらさを抱えている子たちが増えたようにも思います。背景には、社会が複雑化し、そのために思春期の終わりが遅れ、晩婚化が進み、特に父親の高齢化よる遺伝的な負荷が加わること、胎内環境を含めた環境要因が悪化していることなどが考えられます。
なかでも、人間が最も環境からの影響を受ける妊娠中はとても重要な時期です。低出生体重児とよばれる2500g未満の未熟児が増えているのも、女性の出産年齢が上がってきているほか、妊娠中の栄養状態、喫煙、ストレスなど胎内環境が関係しています。低出生体重児が増えると、発達上の問題も増加します。それを皆さんにもっと知っていただきたいのですが、産科医も小児科医も少なく、手が回らないのが実情です。
出産後のケアも大切です。お産を終えたお母さんが、赤ちゃんを抱っこしてお乳を与えることで、女性は「女性の脳」から「母性の脳」になります。母性というのは、自然につくられるものではなく、つくるためのプロセスが必要です。「母性の脳」になると、わが子を大切にして、子どもを中心に考えられるようになります。そうした妊産婦さんへのかかわりを大切にしたいと考え、2010年に周産期センターのとなりに助産院を開設しました。子どもを産む前とお産のときだけでなく、産んだ後も親子とかかわり、育児を地域で支える場として機能してほしいです。
こうしてお話しすると、いろいろ取り組んでいるように思われますが、私は何か問題が起きたらそれに対処しようとしているだけで、あまり考えていないかもしれません。何でも一所懸命してしまうように見えるのは、いつも自己不全感があるために、立ち止まれないのでしょう。それを苦痛に感じないのは、「昨日の自分ときょうの自分は、同じ自分ではないようにしたい」という思いがあるからです。「きょうはこれを憶えた。明日もひとつだけでいいから新しいことを知ろう、やってみよう」、それが学ぶということだと思っています。
そして、それができなくなったら、医療に携わるのは辞めようと考えています。過去に一度だけ、もう20年ほど前になりますが、「自分にはもう進歩がない」と感じて医者を辞めようとしたことがあります。周囲から説得されすぐに思い留まりましたが、このとき、借金をして家を建てました。自分を追い込んだんですね。今でも毎日、いろんな問題が起こり悩むことはありますが、2~3日すると立ち直る。立ち止まろうとするときに、亡くなった子どもたちが「先生、前に進もう」と後押ししてくれます。亡くなった子どもたちにも支えられて、“先ずは生きて”います。それが、私にとっての「先生」という意味かなとも思います。