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Vol.010 2014.06.20

小児科医 白川嘉継先生

<前編>

安全基地」は
子どもたちが健やかに育つための

福岡新水巻病院周産期センター長

白川 嘉継 (しらかわ よしつぐ)

1959年福岡県生まれ。産業医科大学医学部医学科卒業後、産業医科大学新生児集中治療室医長、同大学小児科学講師、福岡看護専門学校水巻校長等を歴任。
現在は福岡新水巻病院周産期センター長、みずまき助産院ひだまりの家顧問。日本女性生涯支援協会理事。

嬉しく喜ばしいお誕生。しかし、なかには一刻一秒を争う重篤な状態で生まれてくる赤ちゃんや家族に受け入れてもらえそうにない赤ちゃんもいます。小児科医として、そうした赤ちゃんやご家族に寄りそってきた白川医師は、「愛着」の大切さを力説します。子どもたちを取り巻く環境が大きく変わりつつある今、お母さんだけでなく、私たち大人は子どもたちに対してどう向き合えばいいのでしょうか。

目次

人生80年のはじまりのとき、良いスタートをしてほしい

白川嘉継先生

私が勤める周産期センターという施設は、出産前のお母さんと、出産後には母児とともに過ごし、危険を伴うお産や出産後の養育に万全な対応をするための、365日・24時間体制の医療を行うところです。私は現在、そこで新生児医療に携わっています。センター内のNICU(新生児集中治療室)では年間200~300人の赤ちゃんを診させてもらったり、ほかに年間1,500人前後の新生児の健診をさせていただいたりしています。一般外来では発達障害・情緒障害・脳性まひといった、生きづらさを抱えているように見える子どもたちの診療もさせていただいています。

小児科医として30年近く、ひとりの人間の人生80年のはじまりのときに関わらせていただいてきて思うのは、この最初のスタートで家族がつまずくと、一生うまく行かなくなってしまうケースがあるということです。だから、どの子も良いスタートをしてほしいと願っています。

私は最初のころは「うまくいかない」というのは、生物学的に良い状態ではないことだと思っていました。しかし、それは一部分でしかないことを少しずつ、赤ちゃんとご家族から教えていただきました。生物学的に良い状態になったとしても、生まれてきた赤ちゃんを家族が大切にしないと、その子は健やかに発達できないことを教えられたのです。

NICUを退院した赤ちゃんが、家庭で過ごすことになったとき、家族が赤ちゃんを受け入れることができるかどうかが大事です。その環境を整えるお手伝いをするのが私たち医療従事者の役割だと思っています。ですから、「先生のおかげでこの子がこんなに元気になりました」と、お母さんから言われてしまうと恐ろしい思いがします。その言葉の背後には「私がこの子を小さく弱く産んでしまった、ダメな母親」というやり場のない悲しみや痛みと、自分自身をほめることができずにいる姿を想像してしまいます。母子ともにマイナスの構図ができてしまうかもしれません。

そうならないように、「ハンディを背負ったり、小さく生まれましたけど、それを乗り越えた、強い子どもを産めた、強い母親」と自覚してくださるようになることも私たちの医療では大切なのです。実際、お母さんのおなかから出てきて、生きていける力は、医学が授けるものではなく、お母さんから子どもに受け継がれた「いのち」であるからです。もし医学が万能であれば、世の中から生命の終わりはなくなります。「強い子どもを産み、護り育てる強い母親」になってほしいです。

医師になるきっかけとなった、高校時代の衝撃的な出来事とは?

事故現場をただ通り過ぎることしかできなかった高3の冬

白川嘉継先生

私は小さいころは生き物が好きで、いろんな生物を飼っていました。天文学者や考古学者にもなりたいと思いましたが、医者になったのは、父の影響があったからです。父は大学の工学部を卒業して造船会社に勤めていたのですが、退職して医学部へ入り直したという経歴の持ち主でした。結果的に学徒動員とその後の病気で復学できず、医者にはなれなかったのですが、その父から「医学部に行くと、好きなことができていいよ」と言われて育ちました。造船所で軍艦を作っていたときは、思い通りのことができなかったらしいです。高校では、医学を習わないので、もしその話を聞いていなければ医学部は全く考えていなかったと思います。

とはいっても、中学生のときは陸上競技に熱中して、勉強の成績はよくなかったですね。弁当は2つ持って登校しても、教科書は持っていかず、もともと注意欠陥多動性障害(ADHD)の私は当然、好き放題していました。さらに担任の先生からは「お願いだから鉛筆くらい持ってきなさい」と言われるほど勉強には関心がありませんでした。そんなですから、陸上の成績は勉強と違って少し良かったので、高校進学の際は複数の学校から陸上部で勧誘を受け、大学も就職も保障されていました。けれども、それは身体が故障することなく陸上競技を続けていければの話です。「もし故障してしまったら、その先はうまくいかないかも」と考え、精神的に弱かったことは棚に上げて、陸上で進学するのをやめ、自宅から一番近くの公立高校へ進みます。このときも、「運動で進学するのはやめておいた方がいい」と、父からアドバイスされたことはとても幸運でした。

今思えば、中学時代は「陸上依存症」でした。陸上部の監督や先輩がとても良い方々でもあり、陸上競技に自分の居場所を見つけていたのです。高校に入ると陸上はきっぱりやめ、次は「学業依存」です。ところが大学受験が近づくと、反抗挑戦性障害(ADHDの2次的障害と考えられている障害)の私は「なぜ大学に行かねばならないのか」と自問自答しながら、じつは反発するようになり、大学には進学しないことを考えていました。

そんな私を、医学部進学へと背中を押した出来事が起こりました。高校3年の12月、学校帰りの雪の日に交通事故の現場に遭遇したのです。血を流しながら救急車を待つ人がいるのに、私はそこを通り過ぎることしかできず、それをとても悲しく感じました。今でも思い出すと涙が出そうです。その事故現場を通っていなかったら医学部へ進学しなかったかもしれません。

そして、産業医科大学に進学します。ちょうど新設されたばかりの医科大学で、「近くの大学に行ってほしい」という父親の意向と、産業医科大学の初代学長・土屋健三郎先生の「人間愛に徹し、生涯にわたって哲学する医師の養成」という言葉に触れ、そこで産業医になろうと漠然と考えていました。

産業医になるためには幅広い知識が必要と感じ、また小児科であれば、脳・心臓・消化器など臓器別の専門にならず幅広く学べると考えて、小児科の道に入ることにしました。私自身、健康な子ども時代を過ごしたと思っていたので、「子どもは健康がいちばん」との考えがあったことも、小児科の道に進んだ理由のひとつです。

赤ちゃんに魔法をかけられた白川先生はどうなったか?

赤ちゃんに魔法をかけられて、がんばってしまう

白川嘉継先生

母校の大学病院で小児科医となって1年目は一般小児科を、2年目からは新生児を担当するようになります。早産などで体重が2500g未満のいわゆる未熟児や、生まれたとき仮死状態だったり、重い合併症があったり、感染症にかかったりした新生病児、つまりNICUでの治療が必要な赤ちゃんの担当になったのです。

その後、外部の一般病院に派遣され、そこでも早産児に出会いました。その病院には産科もNICUもありませんでしたが、当時は早産児に対応できる病院が少なかっため、けっこうな数の妊婦さんや母子が来院されていました。また。ほかの病院の産科の先生が妊婦さんを連れておいでになり、帝王切開をするようなこともありました。それでも、どんなことがあっても、良い状態で退院していただかなければなりません。一般病棟の6人部屋に赤ちゃんの保育器と、私のベッドを置いてもらって、つきっきりでした。今から思えば、私自身が見捨てられる不安が強いので、赤ちゃんから離れられず、トイレに行くときだけ看護師さんに代わってもらうような日もめずらしくありませんでした。そうして大学病院に戻るのですが、勤務の状態はさして変わらず、出勤してもその日のうちに帰宅できるのは、年に1回くらい。朝8時30分に出勤し、帰宅は翌朝5時という日が続きます。

過酷な状況だと思われるかもしれませんが、私にとっては、赤ちゃんと離れてしまうことが不安で、そこにいると安心するのです。きっと、赤ちゃんに「依存」しているのですね。じつは私は「新生児医療をやりたい」と思ったことも、希望したことも全くありませんでした。赤ちゃんが目の前にいて、その子たちとともに過ごして、そこにある「むき出しのいのち」と対峙したことで、私のいつもの依存症が湧き出てきたのです。「消えてしまうかもしれないいのち」がそこにあったから、続けられたのだと思います。

もちろん、楽しくないとできません。喜びがないと続きません。私は、いつの間にかすべての感動がNICUのなかにあると感じてしまうようになりました。少々のことでは心が動かなくなってしまいました。赤ちゃんに魔法をかけられてしまうのです。いのちの琴線や、心の琴線に触れる仕事をさせていただくと、多幸感が現れ幸せを感じてしまうようになり、ほかのことには心が揺れなくなってしまうのでしょう。ある意味幸せな年月が過ぎていきましたが、朝の5時帰宅に体力がついていかないこともあり、2006年に大学病院を辞しました。

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