開業医の家に生まれ、ごくふつうの眼科医になったが…

わたしがなぜ医者になったか…、ですか? 父が内科の開業医だったから、というのがいちばんの理由でしょうか。次男なので、兄が医者になって父の医院を継ぐものと思っていたら、兄は別の道へ行き、わたしが医学部に進学しました。
眼科を専門にした理由も、研修医時代に医局をまわったとき、眼科の先生が親切で、その先生の話がスムーズに頭のなかに入ってきたからだと思います。しかも、話は前後しますが、医学生のときのわたしは、学究の徒とはかけ離れた生活を送っていました。何をしていたかというと、毎日テニスです。テニス部に所属していて、年間200日以上は部活でテニス三昧の日々。医学生の最終学年6年生のときにようやくレギュラーになり、対抗戦に出たりしました。ただ、このときの経験から、「がんばればできるんだ」という自信はできました。肝心の、医者という職業については、「医者になってからしっかりやればいいんだ」と考えていました。若いということを差し引いても、安直な考えでしたね。
学びからはほど遠く、別の意味では充実していた学生時代を送っていたわけですが、卒業する直前に父が急逝。父が開業していたのは内科医院でしたが、わたしはまだ若すぎるし、経験もないということで継ぐことができず、その医院は廃業に。結局、眼科の道を歩むこととなり、そののち必死に研鑽を積みました。その間、慶應義塾大学病院時代の恩師が、福岡県にある産業医科大学(以下「産業医大」)の教授になられたので、わたしも講師・助教授としてそこで勤めることにしました。
ふり返ってみれば縁とは不思議なもので、それまで何のつながりもなかった九州で、医師となってからの人生の大半を過ごすようになるわけです。そして、眼科医としてのわたしの大きな転機となったのも、産業医大でのある患者さんとの出会いでした。