出身地の八女市を舞台に
ファースト写真集をクラウドファンディングで出版
ご出演のくもん出版CMと共に |
私は現在、モデルのほか、インフルエンサーとしてインスタグラムやTikTokなどのSNSで自分のことやファッション、美容などを発信しています。現在は週2回YouTubeのアップもしています。
人前に出る仕事なので、スタイルや容姿をきちんとするように心がけています。例えば食べ過ぎないよう注意し、ジムで筋トレしたり1時間ほど散歩したりと、運動は毎日しています。こうした自己管理をして、CMや広告などのモデルのオーディションに備えています。ご縁があって現在、くもん出版の「くもんのカード」のウェブCMにも出演しています。私自身、公文に通っていたので、オーディションに受かったときはとても嬉しかったです。
現在は事務所に所属せずにフリーで活動しているため、自分で自身をPRしなくてはなりません。週2回のYouTubeのアップはその手段のひとつですが、そのための準備はなかなか大変です。撮影自体は1時間程度ですが、素材を取捨選択してテロップをつけてBGMを選んで……と、アップできる状態になるまで丸1日かかることも。この作業をするのが難しいときは1時間の生配信をしています。その場合、言葉や内容にはいつも以上に配慮が欠かせませんが、ファンの方とコミュニケーションがとれる、私にとってとても大切な時間です。
この4月には念願のファースト写真集を出版しました。私は、お子さんからお年寄りまで家族の誰が見ても「いいね」「すてきだね」と安心して見てもらえるものをつくりたくて、知り合いのカメラマンさんとメイクさんと3人だけでつくることにしました。制作資金を集めるためにクラウドファンディングを利用したところ、1日半で目標額を達成。生まれ育った大好きな福岡県八女市のPRもしたくて、2月に八女市で撮影しました。
撮影の2週間前に地元関係者にあいさつにうかがい、撮影も順調に進みました。地域一体となって完成した作品だと思っています。これがきっかけで、現在、JTBふるさと納税サイトにも出演し、八女市の特産品を紹介しています。
企画から進行、予算管理、衣装などすべて自分たちで行ったことで、華やかな世界の裏の苦労を知ることができました。「撮影したら終わり」のモデルから、撮影の前後にはいろいろな立場の人が様々な作業をした上でCMや広告が完成するのだということまでに思いを巡らせるようになりました。この経験から、人として成長できたと思います。
何より「写真集をつくる」ことが私の幸せだと思っていましたが、写真集を手に取ってくださった方から「届いたよ」「ありがとう」などの声をいただき、「ほかの人が喜んでくれたことを、実感できることが私の幸せだったのだ」ということに気づきました。
母からの「おかえり」のハグが
自己肯定感につながった
私の故郷、八女市はお茶どころとして知られる自然豊かな土地です。子どもの頃活溌だった私は、いつも外遊びをしていて、日に焼けて真っ黒。5歳下の妹は家の中で絵本を見るなどインドア派。彼女は今、9人組ガールズグループNiziUのリーダーとして活動しています。
両親は私たち姉妹が幼い頃から、「お姉ちゃんにはお姉ちゃんのよさが、妹には妹のよさがある」と、姉・妹の区別なく、平等にのびのびと育ててくれました。母はよく私たち二人を「イヤリング」に例えていました。「右がお姉ちゃんで、左が妹。二つともなくてはならない宝物」だと。
母は私が学校から帰宅すると、「おかえり」とハグしてくれ、毎日その日の出来事を「うん、うん」と楽しそうに聞いてくれました。ハグは高校を卒業するまで、毎日です。わが家ではそれが日常だったので、ほかのご家庭もそうしているのだと思っていたら、そうではないことを知り驚いたことがあります。
たしかに思春期になっても親にハグされるのは照れくさかったですが、子どもにとってはやっぱり嬉しかったですね。スキンシップをとても大切にしてくれていたことや、子どもの話をしっかり聞いてくれたことで、「大事にされている」と、子ども心に感じていました。自己肯定感が高く、何ごとも前向きに考えられるように育ったのはそのお陰です。
父は温厚で、女三人のおしゃべりを温かく見守る役割。父とはよく刑事ごっこをしていました。テレビ番組の影響で、小学生くらいまで私の夢は刑事でした。ある日父に「どうしたら刑事になれるの?」と聞いたら「足が速くないとだめだよ」と教えられ、その日から毎日、家の周囲を走るようになりました。実際に速くなって、中学では陸上部に所属していました。
妹とは小さい頃は些細なことで、よくケンカをしていました。「なんとかなる」と楽観的な私とは対照的に、妹は「しっかりやらないと不安」なタイプ。大人になった今は、その違いをお互い理解し、相手の話を聞いた上で「自分はこう思う」と冷静に言葉を交わせるようになりました。
妹の存在を聞かれると、支え合っている「人」という字を思い出します。母が私たち二人ともなくてはならない存在だというように、妹は私にとってなくてはならない存在です。追ってお伝えしますが、今の道に進む覚悟ができたのも妹の一言のお陰なのです。
「好きを伸ばしていこう」という
公文式教室の先生のもとで数学が得意に
家族だけでなく、近所の人たち、地域の人たちに見守られて育ったというのが私の実感です。例えば、夏休みのラジオ体操の30分前に近所のおじさんが囲碁セットをもってきて、子どもたちに囲碁を教えてくれていたことがきっかけで、囲碁にすっかりハマり、毎週習いに行くように。習字やピアノ、英語、水泳などの習い事も全部近所でした。
公文の教室もそのひとつです。自宅の近所には公文式教室をされていた先生のご自宅があり、私は赤ちゃんの頃からその先生に抱っこされていたそうです。その先生の教室自体は学校の近くだったので、学校帰りに通っていました。
KUMONの算数・数学教材を 懐かしむ山口さん |
算数が好きだったので、「好きを伸ばしていこう」という先生の導きで、小学3年生から中学3年生まで算数・数学の学習を続けていました。先生は、私が難しいところを聞きに行くと、私が納得するまでしっかり見守ってくださる素敵な方でした。私ができたことを自分のことのように喜んでくれるのが嬉しくて、ますます算数が好きになりました。
自信がついたことも、公文を続けていてよかったと思うことのひとつです。負けず嫌いな私は、教材を前に「いかに時間を縮めるか」「いかに100点を取り続けられるか」と思いながら取り組んでいました。ある日、小学校でかけ算の早解き競争があって、一番に解き終わりました。それが大きな自信につながったと思います。以来、「算数は、あっちゃん」といわれるようにもなりました。
決められた量のプリントを何度も繰り返してやるには、集中力が必要です。なので、集中力や忍耐力、反復力も身についたと思います。大人になった今、時間のない中でも短期集中してできたり、ダンスの動画撮影の際に納得できるまで同じところを何回も繰り返しチェックすることが苦痛でなかったりするのも、公文のお陰だと感じています。
公文もそのほかの習い事も、妹と一緒にやっていたのですが、彼女は小1のときに「私はこれが好き!」とダンスを極めることに。私は好奇心旺盛でいろいろなことに興味があり、どれもやってみたかったのですが、言い換えれば、優柔不断に悩みながら進んできたといえるのかもしれません。
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