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Vol.092 2023.01.20

丸紅インドネシア代表
笠井 信司さん

<前編>

経験に無駄は何ひとつとしてなく
将来に必ず生きる
Discipline”を身につけよう

丸紅インドネシア代表

笠井 信司 (かさい しんじ)

東京都出身。東京工業大学卒業後、1990年に丸紅入社。保険事業部長、ヘルスケア・メディカル事業部長、次世代事業開発本部副本部長などを歴任して2021年、丸紅インドネシア代表に就任。商社経験においてアメリカやシンガポール駐在のほか、中南米やロシアなどでもビジネスを経験する。

日本が誇る総合商社に30年以上勤続し、現在はインドネシア現地法人の代表としてご活躍されている笠井信司さん。公文式学習で身につけた「Discipline(ディシプリン)≒自律の鍛錬」が、商社でのタフなビジネスシーンでも非常に役立っているといいます。現在はインドネシアでKUMONと協働しながら、自らが大いに影響を受けたKUMONのフィロソフィーを同地で広げていきたいと意気込みます。現地におけるKUMONとの取り組みや、商社の魅力についてもうかがいました。

目次

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インドネシアで循環型ビジネスを構築

笠井 信司さん

私は現在、丸紅インドネシア代表という立場で、インドネシアにおける丸紅の事業オペレーションの責任者をしています。新型コロナのパンデミックの最中の2021年2月に着任しました。

総合商社の事業は非常に多岐にわたっています。当地でも、石炭などの資源のトレード、発電所や180社のテナントがある工業団地の運営、二輪車の販売金融事業、建設機械のリース事業を展開しているほか、身近なところでは食料事業で、皆さんが回転寿司などで召し上がる寿司ネタのエビや、コーヒー豆などを日本やアメリカ向けに輸出しています。

最近ではヘルスケアメディカル事業も手掛けています。インドネシアに赴任前はヘルスケアメディカル事業部長をやっていたこともあり、当地の最大手の病院グループには2年ほど前から出資参画しています。

このように、私たちは総合商社として多岐にわたるビジネスをインドネシアでも展開しているわけですが、インドネシア西端に位置するスマトラ島で取り組んできた、植林・パルプ事業も、大きな柱の一つです。「PT MHP(=Musi Hutan Persada)」は当社が20年以上続けてきた植林事業で、東京都の1.3倍の面積の土地に、今はコスト競争力のあるユーカリを植林しています。

そしてその植林地に隣接して、ティッシュペーパーなどの原料となるパルプ製造の工場「PT TEL(=Tanjungerim Lestari Pulp&Paper)」を併設しています。植林地にゼロから木を植えて6年かけて育て、それをパルプに加工するという循環型モデルが世界的にも珍しい特徴で、持続可能な植林経営に取り組んでいます。

丸紅はグリーン戦略を企業価値向上に向けた基本方針と位置づけていますが、インドネシアでの持続可能な紙パルプビジネスも、グリーン事業を代表するものとなっています。

さらに、この事業を通じて、ジャングルの中の土地で1万人以上の雇用を生み、地域の課題やニーズに応じた支援を行ってきました。2000年には小・中学校(TEL学校)を設立し、奨学金や学校運営費を拠出しています。この学校で従業員の子弟が学び、そして卒業生の多くがTEL社への就職を希望しています。これもまた良い循環だと考えています。

KUMONと取り組む新たな取り組み

KUMONと取り組むサステナブルな新しい取り組み

笠井 信司さん

そして2023年、KUMONとの協働でこのTEL学校に新たな学習プログラムを導入することになりました。もともとは2019年、丸紅に、社会・顧客の課題解決を軸とした新たなビジネスモデルの開発・構築するための次世代事業開発本部という組織ができたことがきっかけでした。

教育事業はこれまで商社がカバーしてこなかった分野ですが、10年後の社会課題の解決を考えたとき、教育は欠かすことのできない取り組みでした。そこで新興国の需要に適した教育コンテンツの提供を目指そうということで、人口2億7,000万人と成長著しく、植林パルプ工場併設の小中学校という丸紅のアセットがあるインドネシアで協業しませんか、とKUMONにご提案をしたのです。

KUMONはすでにインドネシア国内で800教室を展開してこられているので、現地の人たちにもその名前とサービスが知れ渡っています。丸紅インドネシアも2023年に30周年を迎えます。それぞれがこの国で培ってきた歴史と互いの強みを生かして、KUMONには素晴らしいコンテンツを提供していただき、私どもはその事業モデルを確立するのが使命だと考えています。TEL社では地域住民の生活安定を維持しながら自立的な発展を支援するCSR活動を続けていますが、慈善事業では続かないし、サステナブルではない、という考えでいます。

まずは試験導入ということになりますが、その後、どう展開していくのか、どう規模を拡大していくのか。次のステップが一番重要ですが、そこがまさに総合商社の得意とする分野でもあるので、私自身がKUMON応援団となって、収益を伴いながら継続していく事業モデルを、一日も早く確立していきたいと考えています。

スマトラ島のこの植林・パルプ工場をはじめ、首都ジャカルタ近くにある工業団地で働く社会人向けの公文式プログラム導入なども検討しているところです。

公文式で身に付いたDiscipline(ディシプリン)≒自律の鍛錬

公文式で身についた我慢強さは海外でも通用する

笠井 信司さん

私は東京の立川市の出身で、小学校入学後に近所のKUMONに通い始めました。ランドセルを置いてすぐに遊びに出かけるような子どもでした。スポーツの中でもとりわけ球技が大好きで、野球をして汗をかいて帰ってきても、KUMONはなんとか真面目にやっていましたよ。

ただ、公文式って楽しいですけども、コツコツするのが結構大変なんですよね。間違えると赤ペンで直されて、同じことを繰り返して……。辛いなと思いながらも、A、B、Cと進度が進んでいく達成感を味わえる。どんどん進んで学校の算数が簡単に感じられてくると楽しくて。計算力が育つとテストの際に他の問題に多く時間を割けますし、論理的思考も身につくと思います。おかげで算数・数学が好きになり、理系に進むきっかけになりました。

算数・数学の良さは、論理的にひとつの答えを導き出す楽しさというのでしょうか。そういう意味では、小学生の頃から好きだった推理小説にも、通じるものがあるかもしれません。実際子どもの頃は、江戸川乱歩やアガサ・クリスティなど、国内外のミステリー小説を読み漁っていました。国語は決して得意ではなかったのですが、誰が犯人なのか、ひとつの答えを求めて論理的に思考しながら読む過程を楽しんでいました。

KUMONは小学校卒業と同時に卒業してしまったのですが、時折教室には立ち寄っていました。そうしたら、先生に声をかけてもらって、高校生の時には教室スタッフのアルバイトをすることになりました。今度は採点する側になって、赤ペンで花丸を書いたりなんかして。後輩たちとの触れ合いも楽しかったです。そういう意味では、小学校から高校までずっとKUMONの中で育ってきたと言えるかもしれません。

そうしてどっぷりKUMONに浸かって今も役に立っていると感じるのは、“Discipline(ディシプリン)”というのでしょうか、「鍛錬」の部分です。間違えた箇所に赤ペンを入れて返されて、それを消しゴムで消して直して提出してまた直されて、という作業を何回も繰り返すことで、我慢強さが身につきました。

社会人になってからも、仕事というのは思い通りにいかないことがほとんどです。まして、言語もカルチャーも違う海外でのビジネスはなおさら。我慢しながら相手の話を聞いて提案をして、という作業を繰り返すことが絶対に必要になるんです。辛いと思うときにも我慢強く、公文式で鍛錬した経験が、今でも大いに役立っています。

後編を読む

関連リンク 丸紅株式会社


笠井 信司さん  

後編のインタビューから

-日本発のコンテンツを世界に広げるお手伝いをしたい
-無駄な仕事は何ひとつとしてなく、財産になる
-今の時代こそ重要な人と人が直接会うこと

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