劇団四季の「ことばの力」に衝撃を受け、演劇部を改革
高等部2年生の文化祭にて |
元々人前で話すのが好きで、アナウンサーにも憧れていた私は、小学校時代は放送委員会に所属していました。中学でも続けようと意気込んでいたのですが、放送部がなく、どうしようかと友人といろんな部を見学していたときに観たのが、演劇部の新入生歓迎公演でした。ところが観客は、私と友人のふたりだけ。部員もたった3人。
「この部、大丈夫かな。なんとかしなきゃ」と気になってしまい、その友人と一緒に入部しました。当時は「演劇がやりたい」という気持ちはまったくなかったのですが、このときの決断が今につながるわけですから、出合いというのは不思議ですね。中高一貫校の公文国際学園では、部活も中高一緒に行います。一緒に入部した友人は途中でやめてしまったので、当時の部員は中1の私と高1の先輩が3人。受験を控えているので先輩たちは高3になると引退し、その後は必然的に私が部長になり、後輩3人と4人で活動していました。
実をいうと、当時の演劇部は精力的な活動はしておらず、実態は「放課後のたまり場」。それが劇的に変わり、かつ自分の人生にも大きく影響したのが、高1のときに観た劇団四季のミュージカル『美女と野獣』の舞台でした。
ことばと音が自分の中に直に入ってくる感覚で、「演劇ってこんなに感動するものなんだ!」と大きな衝撃を受けました。単純に声が大きいということではなく、ことばが「粒立って」聞こえる。そこに心地よさを感じました。歌や踊りなどいろんな要素が舞台上で統合されていて、楽しくてワクワクする、そのエンターテインメント性にも魅了されました。
その後すぐ、演劇部を改革するために、発声や音楽、照明など、演劇に関する本を買いあさって猛勉強を始め、練習に、ことばをしっかり伝える訓練を入れました。小劇団の座長さんとの出会いにも恵まれ、後輩と一緒に手探りで改革に取り組んだところ、演劇部の実力がどんどん上がっていきました。それまでの遊び半分の演劇部から、「人に感動を与える演劇部」に変わっていきました。
それまでは同級生から「演劇部なんてあったっけ?」と言われるほど影の薄い存在で、文化祭でも観客は部員の保護者のみだったのが、やがて満席になるようになりました。校内での評価も変わり、私が卒業する頃には部員は30人ぐらいに増えました。今改めて振り返ると、中高時代に自分たちで表現し、相手とぶつかり合ってひとつの舞台を作り上げるという経験ができたことは、とてもよかったと思います。
大学時代はミュージカル三昧
「やりたいこと」が明確に
高3で演劇部を引退後、大学受験へシフトし、早稲田大学基幹理工学部へ進学しました。大学では2年次から数学科に進みました。そこで学んでいたのは「純粋数学」というもので、ごく簡単にいえば「数字の本質を極める」、理路整然とした学問です。今思うと、「ことば」とは分野が違いますが、どちらも「ひとつひとつをはっきりさせる」という共通項があるように思います。そうしたものに惹かれるタイプなのかもしれません。
大学では、ミュージカルのエンターテイメント性に引かれていたこともあり、ミュージカルサークルに入りました。すると演劇への情熱も再燃し、サークル活動に没頭するようになります。そこでは主に役者として活動していました。中高時代と異なり、大学のサークルはお客様からお金をいただいて上演したり、海外のライセンス作品を手がけたりと本格的な活動です。サークルには他大学の学生もいたので、世界も広がり刺激に満ちていましたね。
就職するか進学して研究するかを決めなければならない大学4年の夏に、劇団四季のオーディションを受けました。理系の勉強をしていたため、よく経歴について不思議がられますが、ミュージカルサークルに入ったことで自分の「やりたいこと」「やりたかったこと」が再燃したのが、進路に影響を与えたと思います。同級生が就職活動をする中、自分の将来を考えたとき、「演劇の道に進みたい。その根幹にあるのは劇団四季の舞台だ」という強い思いが自分の中にあることを自覚しました。
けれども両親には「劇団四季を目指したい」とは、なかなか言い出せませんでした。あるとき思いきって伝えたら、父は二つ返事で「いいんじゃない」と言ってくれました。私が公文国際学園の頃からずっと演劇に没頭している様子を見ていてくれたので、薄々予感していたのかもしれません。母も反対することなく「いいよ」と受け入れてくれました。実は母自身、芸術学校に進みたかったのを親に止められた過去があったようで、母から「あなたはやりたいようにやってほしい」と言われました。
「将来に役立つ」という視点ではなく
その子の「今の時点でやりたいこと」を見守って
俳優を続ける中で、もちろん大変なこと、悩むこともあります。そのときは一度落ち込みますが、「人と比べても意味がない。自分なりの進み方がある」と自分に言い聞かせ、「今の自分はこうだから、こうしよう」と自分の課題を決めて、それを克服するためにどうすればいいか、マインドを変えていくようにしています。
ですから子どもたちにも、焦らず人と比べず、自分のペースで進んでいってほしいと伝えたいですね。「これ」とひとつのことに思い定めて突き進むタイプの子もいれば、いろいろなことをやってみるタイプの子もいると思います。どちらがいい悪いということはないですし、興味を持てるものが見つかるまで、いろんなことをやってみるといいのではないでしょうか。そして集中できることが見つかったとき、そこに向かって努力すればよいのだと思います。
また、私が関心を持った物事について両親が「これやってみなよ」「次にあれはどう」と導いてくれたことが、自分の礎になっていると実感しています。ですから周囲の大人たちも、「将来これが役立つ」という視点ではなく、個性を尊重し、その子の「やりたいこと」を人と比べずにやらせてあげてほしいなと思います。
今後は、ずっと劇団四季の俳優を続けていきたいと考えています。そして、その中でいろんな役や演目に挑戦したいですね。大学時代、劇団四季以外の舞台もたくさん観ましたが、「自分にとっては何かが違うな」としっくりきませんでした。それはなぜだろうと考えたとき、「ことば」の伝わり方が違うのだと気づきました。
劇団四季では、セリフでも歌でも、明晰にことばを話す訓練をしています。そうすることで、台本に書かれた言葉を客席の隅々までお届けすることができるのです。自分が観客として劇団四季の舞台を観ていた時も、「作品そのもの」が自分の中にグッと入ってくるような印象を持っており、その感覚が大好きでした。また歌や踊りなど様々な要素が詰まっているのも、劇団四季の舞台の魅力です。今度は自分がその舞台に立ち、多くの人に作品が持つ感動を届けていきたいと思っています。
関連リンク 【公演紹介】
ディズニーミュージカル『ライオンキング』
会場名:有明四季劇場 ロングラン上演中
名古屋四季劇場 上演中~2022年5月15日(日)千秋楽
前編のインタビューから -劇団四季ミュージカル『ライオンキング』の魅力とは? |