スキル+マインド+“柔らかい何か”
が人の成長には必要
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多くのイベントに参加した私ですが、実はボランティア旅行には参加していません。一時的な幸せを提供するよりも、10年、100年と続くような幸せをつくることに興味があったからです。今ならそのためには仕組みづくりがポイントだということがわかりますが、当時はそこまで考えが及びませんでした。
そんなあるとき、貧しい人にお金を貸すグラミン銀行を作ったムハマド・ユヌス氏の本を読み、「社会課題に現場感を持って解決できる仕組み作りができる」と知りました。高3のときです。こうした人がもっと増えれば社会はよくなるのではないかと、社会起業家に関心を持つようになり、それをテーマに慶應義塾大学のSFCのAO入試に挑みました。
実は海外大学への進学も頭の中にあり、国内外の様々な大学を訪問して、図書館や生協にいる学生に、「見学に来たのですが、この大学どうですか?何が楽しいですか?」と聞いて回りました。そこで一番フィットしたのがSFCでした。学生の方に話しかけると、「君、そうしていること自体がこの大学に絶対に合うよ」と言ってくれたり、聞いていないこともどんどん話してくれたり。自分の研究を熱心に説明してくれるなど、情熱を持った学生生活を過ごせていることが伝わってきました。
入学後は、1年次から社会企業家について考えるゼミに所属し、3年次にはパターン・ランゲージという手法で、暗黙知・経験知を言語化して社会企業家を育てる研究をしていました。大学4年次には、社会企業家のパターンを教育プログラムとして教材にし、高校生や大学生に提供しました。ところが、響く人と響かない人がいる。なぜそうなるのか。スキルとマインドだけではない、もうひとつ“柔らかい何か”が人の成長には必要なのでは、と思うようになりました。
その“柔らかい何か”を研究しようと、ポジティブ心理学の領域で知られるペンシルベニア大学教育大学院で学ぶことにしました。そこで出会ったのがSEL(Social Emotional Learning=社会性と情動の学習)です。私が学びたかったのはこれだ、スキルやマインドなど表層的なものではない、もっと奥にある感情に焦点を当てる必要性に気づいた瞬間です。
帰国後は、オルタナティブ小学校の教員になりました。天職だと思うほど楽しかったのですが、「目の前の子にはインパクトを与えることはできるものの、これを続けていいのだろうか」と悩み、少し休んで考えることにしました。
その後、教材会社で教材をつくる仕事をしながら、フリーランスとして教育にかかわる複数のプロジェクトに参画し、やがてその仕事が軌道に乗り始めたので、教材会社を辞めて教育クリエイターとして独立しました。東京ではないどこかに根を張りたいと思い、何度も訪れて大好きだった沖縄に拠点を持つことにしました。やがて仲間も増え、現在は会社組織にして活動しています。