友人から贈られた手作りのピアスに感激
今度は自分が作り手となって想いを伝える
スイス公文学園高等部を卒業して、大学は早稲田大学第一文学部へ進学しました。じつは小学生のとき、劇団四季のミュージカル「キャッツ」を観て感動し、俳優という職業に憧れていました。それで大学では演劇映像専修を希望。しかし履修内容が自分には合わないことがわかり、結果、もうひとつ関心のあった教育学を専攻しました。一方で、プロダクションに所属して演技指導も受けていました。
ところが大学3年生のとき、体調を崩してしまい、1年半休学して実家で療養することに。大学卒業後は、知人のプロダクションに所属していたのですが、病状も落ち着かず、違う道を考えはじめるようになりました。
25歳のとき、KLAS時代の友人を訪ねてアメリカへ行ったのですが、この旅が、「ハンドメイドの魅力」を実感するきっかけとなりました。アメリカ到着初日、その友人と買い物をしていて素敵なピアスを見つけたのですが、悩んだ末に結局買うのを断念しました。すると、帰国時の空港で、その友人が「同じデザインではないけれど」と言って手作りのピアスをプレゼントしてくれたのです。彼女は当時3歳と6ヵ月の2人のお子さんがいて、子育てにもとても忙しい中、私のことを想ってそのピアスを作ってくれた…。そのことがとてもうれしく、「ハンドメイドってこんなに心が温かくなるものなんだ」と感銘を受けました。
![]() “Whisper of the flowers” (ご本人提供) |
帰国後、アートギャラリーを手伝う機会があり、あるハンドメイドジュエリー作家の方を担当することになりました。「ハンドメイドでここまで作れるんだ」と興味をそそられ、彼女のワークショップで初めてイヤリング作りに挑戦しました。想像以上の楽しさに衝撃を受けると同時に、アメリカで感じた「ハンドメイドの素晴らしさ」と、それまで目指していた俳優の「表現すること」が私の中で形を変え合致した瞬間、まるで雷に打たれたような衝撃と、湧き上がる興奮に胸が高鳴ったのを今でも鮮明に覚えております。
ちょうどその頃、父の末期ガンが判明し、福岡へ戻ることになりました。父のためにお守りを贈ってくれたり、現実を受け止められず落ち込んでいた私をサポートしてくれた友人たちに、感謝の気持ちを伝えたいと思い、贈ったのが、ハンドメイドのジュエリーです。初めてパーツ屋さんに赴き工具から揃え、一人ひとりをイメージしながら独学でピアスを作り、プレゼントしました。すると、皆、大変喜んでくれたのです。「感謝の気持ちが伝わった!」と、私も嬉しくなりました。これを機に、友人からジュエリー制作を頼まれるようになりました。